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様々に去来する思いを透かして
愛するチベット民謡を感じてくれたら。
エマレホー、Tibetan Indigenous Music!
なんて素晴らしい!
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2015.06.01.Mon | -
アーティストもオープン
さあいよいよ我らが愛するチベット舞台芸術団(Tibetan Institute of Performing Arts 通称TIPA)に繰り出す日。
Go Go Let's Go! Let's Go Go!
チベット音楽にぞっこんの私と息子は、ここを置いてはダラムサラ生活が成立しなーい!
まずは、お友達に会いに。

門を入ると団員全員が大きな幕を張る作業で活気づいている。
(明日何かあるんだっ!!!のっけからluccckyじゃないか!はっはっはっふっふっふっ)
とにやけていると、一人の友達のYがこちらにやってきた。
「タシデレ(こんにちは)!滞在はどれくらい?」
ちりちりのセミロングの髪を今や短くした彼は、去年よりすこし落ち着いて大人びて見えた。
明日、「ショトン祭というオペラがあるんだよ、来たらいい。」と彼は教えてくれた。
「じゃあ、作業に戻らなくちゃ。」

彼が作業にもどると、こんどはもう一人の友人のDがひょいと階段から降りてきて、私たちを見つけてびっくり。
「やあ、来たんだね。タシデレ、アチャ(お姉さん)。いつまでいるの?」
少し話をすると、僕の部屋に来る?と誘ってくれたので、
「Yhea Yhea!どんな部屋か見たいしね。」
と遠慮もなく彼の部屋に行ってあま〜いインスタントコーヒー(⁂)をいただいた。

彼の部屋は内装全部が紫色で、男の人の部屋らしくちょっとがらんとしていた。
「この色、自分で選んだの?」
まさかと思って聞いてみたら
「全部僕が塗ったんだよ。ほら、あそこは塗るのが大変だったんだ。」
ん〜、彼の趣味だったか。
そして壁にポスターが張ってあるのに気づいて尋ねてみた。
「あれ、あなた?まさかね。」
「僕だよ。」
「そう。」
「化粧してるのさ。」
と言って浮かべた笑顔は、ジョークなのか本当なのかをわからなくした。
チベット人の笑顔は本当に素敵でまいってしまうのだが、事の真相をうやむやにする力も備えている。


opera tent



作業にもどる彼の紫の部屋を出ると、今度は古株のミュージシャンのTさんと対面。
少し立ち話をしていると、代表にごあいさつに行くなら今連れて行ってあげると言われ、代表の部屋に。
彼女は、この人は日本でTIPA公演の際手伝ってくれた人だということ、今日はごあいさつできると思わず手ぶらで来た事を恐縮しているということ、明日のショトン祭に招待してあげたらどうだということを話してくれた。
そして、ショトン祭の時は、終わったら家でゆっくりしていってねと言って別れた。

ひゃっほ〜!
ショトン祭ご招待!
お昼の心配もなく、良い席で見られちゃうんだ。
ありがたや。

彼らのこのオープンな態度がとても心地いい。

2008.03.03.Mon 19:43 | チベット音楽文化
門前の戦い
ショトン祭、ショトン祭。
ちょっと早いけどはりきって行ってきます。

と、門は人が押し合いへし合い。
これじゃ、何十分待たされるかわからない。
人々のかたまりの後ろにくっついていると、どんどん後から来た人に先を越されるではないか!
何!
何をする!
よ〜し、そっちがそっちならこっちもこっちだ、覚悟!
私は脇から回り込んで、思い切り固まりごと追い越してぐいぐいやってみた。
しかし肉好きな彼らの体が動くものではない。
「列に並ばなきゃだめだ!ほら!」
門番よ、列もないのに今更何をぬかすか!
よし、こうなったら奥の手だ。
これが目には入らぬか!
「ヘイ!招待、招待〜!」
私は招待の名札を高くかざしてみた。
が、全く効果なし・・・。

固まりが揺れた一瞬をついてやっとのことで無理矢理ねじこんで侵入したはいいが、今度は携帯とカメラは持ち込めないと言う。
じゃあ預けよう、と思ってもそんな場所はなく、門の外に出て喫茶店の店員に頼めと言うではないか。
外に出ようと思ったところで、未だ門は人の固まりで完全に詰まっている。
できないことをしろとな!
ボディーチェックもあるということは、そうか、今日は法王様がお出ましなのだ。
私はユンデンの部屋に置いてもらおうと階段を降りかけるが、そこは進入禁止だと言われる。
先に入る事を許された息子に、TIPAの友人をここに連れてくるように命じるが、何しろ何千人の中から探すのは至難の技。
とうとう息子がべそをかきだしたら、女性の警備員が
「かわいそうに。じゃあ絶対に使わないって約束して。見逃してあける。」とこっそり耳打ちしてくれた。
ほっとして、袋にしまって顔をあげると、そのむこうにもう一人警備員がしっかり目を開けてそれを見ていた。
「持ち込みは禁止だ。今、袋に入れただろう。」
万事休す!
どうしたらいいかわからず、門のところで立ち尽くしていると、短気そうな警備員が
「Get out! Get out !」
と私に怒鳴りつける。

何たる態度!
それでもチベット人かっ!

と、むこうの方にYの姿が!
女性警備員に付き添われ、彼のところまで行って預けてやっとのことで入場を許された。
招待席によろよろと座ったところでショトン祭の幕開けとなった。





shoton fes panph





2008.03.29.Sat 19:45 | チベット音楽文化
Great Yoghurt Festival
チベット語で『ショ』とはヨーグルト、『トン』とは祭りを意味する。
始まりは1416年建立のチベットのデプン寺で、毎年恒例の僧侶達の夏のリトリート明けの陰暦の6月30日、最も牧草が青々と繁っているこの時期にミルクという形で供養が捧げられたことからだ。
遍く知れ渡ってからは、法王様の夏の宮殿であるノルブ・リンカの庭に場所を移して開催された。
現在のチベットでは観光の外貨稼ぎと文化破壊カモフラージュのため復活しているようだが、中国によりこのショトン祭も禁止されていた。
亡命の地ダラムサラでは亡命初年度からTIPAが開催しており、1993年からは法王様のご提言で大祈祷祭と同時期に、その年の生きとし生けるものの繁栄と健勝を祝う祭としてこうして行われるようになった。

お籠り修行明けのお坊様をねぎらうため、繁茂する牧草を食んだ牛の乳の滋養豊かなヨーグルトを振る舞う。
お坊様達自身の打ち上げの開放感。
あの厳寒の忍耐をすっかり忘れて、視界にひろがる青々とした牧草地。
子牛も生まれたに違いない。
はじけそうな夏の喜びがショトン祭にはあふれていたことだろう。

今年は5団体、総勢200人を超えるアーティストが参加し、6日間それぞれオペラを披露する。
初日のTIPAのオペラでは、チューキーノルサンが上演された。
チベット語はメロディー付きの古い言い回しでほとんどわからないが、最後の方で奥さんを王様に奪われた山賊が王様とその家来と戦うシーンはゼスチャーで十分想像ができ、他の観客と共に大受けすることができた。
山賊の親分は強いはずなのに、奥さんが王様に心を奪われて行ってしまったと知るとおいおい涙を流すし、子分達は歯が抜けていたり、髪がぐちゃぐちゃで、ああでもないこうでもないと親分をなぐさめたり作戦を提案する姿は、実に田舎臭く間抜け丸出し。
一方王様達は皆、スマートでクールで、その対比が何ともおかしい。
その王様を演じるのは友人のD。
いつもと違って威風堂々としている。
奥さんは王様達の軍勢に加勢し、もとのご主人である山賊の親分達をやっつける。
その戦いがおかしくておかしくて、会場中笑いの渦。
単純な状況だが、むずむずするおかしさがある。
オペラの演目の筋立ては変化することはなく、部分部分のせりふや表現の仕方が変化する程度だが、皆お茶を飲み飲み、お菓子を口に頬ばり、時にはおしゃべりをしたり、犬にいたずらしながらゆったり鑑賞している。
日本で言えば歌舞伎のようなものか。
決まった『型』や昔からの台詞はあるが、その時勢を反映したエピソードなども交えてコミカルな面もたっぷり.
きっと、チベット語が全てわかったら、もっともらい泣きをしたり笑えたりしたのだろう。

鼻歌でオペラを歌っちゃうぶっ飛んだファッションのおばあさん

実際にこの場に身を置いてみると、観客をひっくるめたものがオペラなのではないかと思える。
これを日本のホールで上演したとしたら、違った鑑賞物と化してしまうだろうなあ。
(でも もちろん紹介したい!)
会場の人々とパフォーマンスを切り離した時、魅力が半減してしまうに違いない。
この場の人の気と集中と笑いと、それに呼応するアーティストの勢いと、雪山からの風、風をはらんで大きく上下するテント・・・それらが混じり合ったものがチベットオペラの肝なのだ。

そしてオペラ、つまり歌劇とは、普通の台詞を深く強く味わい尽くすための技。
自ら命を絶とうとしている女性が、高僧のところにやってきて、
「私は、ラマ、あなた様のもとについにやって参りました。」
と話すだけではそれ程胸にぐっとこないところを、朗々と遠くの山に響き渡る声で語る事で彼女の心の奥の震えがこちらにも直に届くという次第。

さすがに7時間半はちょっと長丁場で疲れたけれど、やっと機会に恵まれ見学できた。
明日はマスリからやってきたグループ上演の日。
私たちは休憩。

2008.03.29.Sat 19:46 | チベット音楽文化
ハングリーアーティスト
少し前からキャンドルマーチは毎週月曜日のみ行うことに変更となった。
おそらくは中国が法王様の代理とはいえとりあえず交渉を再開することがきっかけだろう。
そして雨期に備えて、ハンガーストライキの小屋の屋根がトタン張りに改修された。
今まではシートをかぶせただけの即席で、悪天候の時はおそらくひどい状態だったはずだが、これで一安心。
朝の9時から12時間ずつメンバーが交代する。

昨日の夕方、外に出て犬の隣に座ってぼーっとしていると、声をかける人がいた。
「何してるの?」
夕闇で顔がよく判別できない。
「誰だ?この人。」
と息子もわからない様子なので、まじまじと眺めてみたら、タントンルカルの女の子。
「あなた、こんな時間に何故ここにいるの?」
と訊くと、ハンガーストライキに参加しているのだと言う。

『タントンルカル』とは、ダラムサラにある私立の伝統舞台芸術団のこと。
かつてTIPAのアーティストだった人物がヨーロッパに移住したが、あちらではチベットの伝統芸能が非常に評価されていることを知り、あらためて自らの文化継承の意味の重さをひしひしと感じ、インドに戻り、この団体を設立した。
団員は両親がいなかったり、境遇が悲惨だったりする青少年が多く、ある意味、彼らを実際に支援することにもなっているし、またたとえ過酷な現状でも誇りを失わずに人生をやっていけるようにしてくれる場でもある。
(独立国として国があればの話だが)国立のTIPAとは一味違って、素朴な元気一杯の若者達。
TIPAがスマートで美男美女がそろった完璧な芸能人達だとしたら、(略して)タントンの彼らはとても身近でちょっと田舎臭い、けれども村祭りのうきうきするパワーのようなものを感じさせてくれる若者達だ。
実際のパフォーマンスでいえば、TIPAはさすが巧い!かっこいい!美しい!声もヴォイストレーニングがよくされたそろった声、女性の手もほどよい柔らかさで動くし、男性の荒っぽい動きも丁度よい激しさでうまくまとまっていて、確かに土臭さは薄れてしまったかもしれないがセンスのよさが光っている。
一方タントンは、センスというより心意気というかひたすら一生懸命やっているという若者達の一途さが気持ちいいし、かわいらしくも思えるパフォーマンスだ。
共に時を過ごすときも違う。
都会派のちょっぴりクールなTIPAに対し、タントンは初めは思い切りシャイでその後はご近所さんのようになる。

このハンガーストライキ小屋でも、ちょっとあがりこんで話をすると、ああでもないこうでもないといろいろな子が私の質問に興味を持って答えてくれる。
ああチベット人だなあと感じる雰囲気。
入ってみると、なかなか居心地がよくキャンプ気分だったが、一端寒くなったり、嵐にでもなったら大変だろうなあと思った。
けれど同じ気持ちがあるから次々とここで断食をする人が絶えない。
「みんなお腹すいたでしょ?」
と訊くと、K君がにやにやして言う。
「下の町で○○を食べるんだ。」
「○○?」
「料理の名前だよ。」
ああ、ハンガーストライキが終わった後の計画か。
なんかかわいい。
その後、このかわいい彼らのハンガーストライキの労をねぎらうために、大きな袋一杯のお菓子を買って
「バスの中でみんなで食べてね。」
と手渡した。
あなたたちが好きよ。






hangry artists



2008.06.29.Sun 22:54 | チベット音楽文化
ヤルキやる気
TIPAでは6月に毎年『YARKYI』という夏のイベントが開催される。
アーティスト達が2グループに分かれ、対抗でパフォーマンスを競うものだ。
演目の演出と大道具や衣装を含めた舞台演出、モダンの作詞作曲全てを教師抜きで行う。
そこに審査員と関係者が招待されてチベットのグラミー賞よろしくベストアーティスト賞や本年の最優秀アーティストグループが表彰され、トロフィーが授与される。
そしてこの演目を収録したDVDが毎年リリースされ、世界中誰でもが見られるということになっている。
先週の日曜日、雨漏りのするTIPAのホールより大きなTCVのホールで夜10時まで収録が行われたそうだ。
来月には店頭に並ぶことだろう。
今年はチベット本土で大量の人々が命を落としたり、投獄されたり、飢えたりしているという状況で、ぎりぎりまで決行するかどうかが決まらなかったが、なんとかGOサインが出たようだ。

私は先生から招待券をいただき、早めに先生の自宅でお茶を飲み飲み待機。
席に着くと、しばらく空いていた隣の席に誰かが座った。
ふと見ると、TIPA前代表。
なんという偶然だ。
こんなに沢山の人々のいる中で隣り合わせるなんて。
「今の仕事はいかがですか?」「ここにどれ位滞在するの?」などとお互いに聞き合っていると照明が暗くなった。
私も息子も見る気満々、スタンバイOKです!TIPAの皆さん!
すると、uprisingのドキュメンタリーフィルムが始まった。
世界各地で行われたデモや逮捕の様子と本土で殺害された人の遺体が交互に映し出される。
所々、息子が目を背けずにはいられないような生々しく残酷な場面も。
「おかあ、さ、ん・・・。」
私は息子の瞼に手を当てて、その場面が通り過ぎるまで視界に入らないようにしてやった。
時々、観客から思わず言葉が漏れる。
悲惨なシーンでは、会場中から舌打ちが。
「チッ、チッ。」「チッ、チッ。」「チッ、チッ。」「チッ、チッ。」「チッ、チッ。」
チベット人の舌打ちは、私たち日本人の『チクショウ!』の舌打ちとは違う意味で使われる。
「ああ、なんてことだ。かわいそうに。」が最も頻度の高い使用法なのだ。
最後の方では、どうにもがまんできなくてうるうるきてしまったが、暗い会場、鼻もすすらず、目も拭かずにじっとしていればバレないだろうと思いきや息子にはさとられていた。
「おかあさん、泣いてる?」
「え? あー、まあね。ちょっと何ていうか、なんとなくね。」
何言ってるんだ?

フィルムの後は、モダンの曲対抗。
先攻チームは完全に今回の事件をストレートに表現。
女性達は黒の民族衣装に身を固め、たすきをかけて眉間にしわを寄せて拳をにぎり、うつむく仕草。
男性達も大きなシンバルを持つ者、旗を持つ者など軍隊風のにおいがする。
その中に伝統衣装をフル装備したチベット人が数名、最後に列を飛び出して前に躍り出たかと思うと、
「チベットに自由を!」
「法王様、万歳!」
などと口々に叫ぶ。
そこへ、へらへらと笑った、軍服を着た中国兵がやって来て、あっという間に彼らを銃で殺害してしまった。
ん〜ここまでやるか。

観客席に身を置き、これらの演目はどれ位皆の気持ちに沿っているのだろうと肌で感じ取ってみると、老若男女が「よし、これでいい。」と言っている空気に触れた。
おそらくは、プラス面でもマイナス面でも、起きてしまった惨事を何度も何度も繰り返しこのように昇華して再現することが、彼らの心に落ち着かせるためには必要なプロセスなのだろうと思えてならなかった。


TIPA hill



2008.07.10.Thu 23:34 | チベット音楽文化
引き金を引く指はギターも弾ける
『EXILE BROTHERS』とは亡命チベット人3人兄弟のロックンロールバンド。
チベット音楽界ではバンドという意味でもロックンロールという意味でもめずらしい存在かも。
一郎がリードボーカル兼ベース、二郎がエレキギター、三郎がドラムという構成。
チベットの要素とロックンロールとコミカルな要素がミックスした音楽で、とてもソウルフル。
ロックなのに「ヤンキャル ゴネ チク(もう一度最初から)。」なんて歌詞にしたりして可愛いんだ。
シンプルで汗臭い曲達はノリノリにさせてくれる。
「I LOVE ROCK'N RO〜LL!」 きゃ〜っ!
「I DON'T KNOW WH〜Y!」 きゃ〜っ!
きゃ〜っ!は私の奇声・・・。
こんなことやるのは一体何年ぶりだろう。
すっきりしたあ。

数曲が終わったところで皆でお誕生日の歌を歌おうとお兄ちゃんが提案。

Happy Birthday to You
Happy Birthday to You
Happy Birthday His Holine〜ss
Happy Birthday to You

ああ、これまたすっきり。
本当に喜びをこめて「法王様おめでとうございます。」を大きな声で歌えた。
会場満員の観客のほとんどを占めている西洋人もこの喜びに興奮していたのか、今までで一番盛り上がったコンサートだったそうだ。
3分の1も過ぎた頃には、完全にダンスに陶酔しきった西洋人達がだんだん前の方に進出してきて、とうとう最前列のさらに前までやって来て、エキサイティングの極みで汗だくで踊っていた。
息子が唖然として彼らを眺めていると、その最も激しい興奮ぶりの人に肩車されてしまった。
息子をかついでさらにそれでも踊っているおじさん、すご〜いパワー。

舞台には半顔国旗、半顔骸骨のメイクをしたチベット人怪し気ダンサーがパントマイムを続けて、さらに会場は興奮の渦。
今回、ひとつおもしろいものがあった。
ソロギターで同じメロディーを引き続けながら、お兄ちゃんがチベットの惨事の歴史を語るというもの。
演劇チックで義太夫みたいというか、吟遊詩人みたいというか。
「1949年・・・、ああ、チベットに中国が、中国が、中国がああ〜あああ、あ、ああーーーーー。」
『EXILE BROTHERS』は武器を楽器に持ち替えて、亡命チベット人のほとばしる思いを表現した。
後半になると、完全にディスコ状態。
観客総立ち。
もみくしゃにされて、9時半を過ぎた頃、息子はもう帰ると言い出した。
確かにもう、むずむずする曲からダンス音楽にシフトしてしまったし、明日は月曜日なので、会場を出た。

「あ〜おもしろかった。
ねえ、おかあさん、ギターっていくらするの?」
と息子。
ええっ!やるの?ロックンロール。
涼しい門前通りを下りながら、息子のエアギターの弾き語りを聴きながら帰宅した。

法王様、ご健康でご無事にまたこのようにお誕生日を迎えられましたこと、心からお喜び申し上げます。
チベットには、また悪夢が襲ってきてしまいましたが、これからもお健やかに過ごされ、世界中の人々がくじけそうになった時も、その優しさと強さでどうかずっとずっと希望の光を照らし続けて下さいますように。



exile brothers show candle

2008.08.02.Sat 14:26 | チベット音楽文化
良すぎます
そもそも肺のサイズが違う大和民族の私にチベット民謡を歌うことなどできるのだろうか?
しかもネパールの粉塵が原因で発病した喘息があって、ある音域では声がかすれたり音を安定させられない。
にもかかわらず前世チベット人だったのか、このチベット音楽好きの炎は簡単には消えそうもない。
前奏が始まっただけでゾクゾクして、いてもたってもいられなくなるのだ。
だから気の済むように歌うしかない。
もし私のこの快感が誰かに伝わればそれはそれでうれしい。
あまりに大きな喜びは私ひとりでは持ちきれないからだ。
こんなに素晴らしい音楽は、私からあふれてしまう。
よすぎるぅ〜!のだ。

最も喜びにあふれるのは、予約もなく準備もなく、
聞きたいと願うその人のために歌う時。
心地よい風に吹かれながら木漏れ日の揺れる土の上で歌う時。
蝋燭や星の光を浴びながら、静かにゆっくりと声に酔いながら歌う時。
水面にゆらめく美しい月光や海にきらめく陽の光を眺めながらうっとりと歌う時。
愛する人達と一緒に大きな声でほろ酔い気分で笑いながら歌う時。
ここではさらに、遠くに見渡せる荘厳な雪山や瞬く間に谷から登ってくる雲へ向かって歌う喜びを見つけた。

チベット民謡を歌っているとチベットの深い根っこにほんのちょっとだけつながった気がする。
他国の民謡も然りだろう。
私一人が歌っているという現象だけで終わらないものがある。
深い安堵感あり、はじける歓喜あり、切望の一途さへのいとしさあり。
大いなる何かとつながった所から歌が出てきていると言うのはありきたりな言葉だけれど。

このことを特に痛感するようになったのは、息子を産んでからのこと。
動物と何ひとつ変わりのない、出産という驚異に満ちた儀式。
宇宙をもうひとつ生み出すその始まりから、愛情の極みの凝縮された思いを抱いてなされる様々な行為。
自分の血液で他のもう一つの生物を生かし、成長させる授乳。
私が食料になり、命の元となれるだなんて!
毎日毎日、夜明け前も真夜中も3年の間、食べられ続けた。
けれど、その元は他の生物達なんだ。
そしてそれはさらに太陽や水や土などによって育まれたのだ。
自分が食べられる事によって食物連鎖まで体験してしまった。

温かく愛らしい臭いのする小さな生物が、完全な喜びに満ちて私のおっぱいを頬張っている様子を、毎日心ゆくまで見つめる。
こんな究極の幸福があるだろうか?
授乳中に息子と見つめ合うときは何の欠落もない幸せだ。
私に命をすっかり預けて安心しきって生きている、私に住んでいた人。
私があげた肉体を生かし続けようとする源であるおまえはどこからやって来たのだろう?
この世界を理解するために私という媒体を必要としている。
私に映して世界を理解しようとしているこの清らかな人。
最も愛する存在に全幅の信頼を生まれて初めて託された私は『母』とは何かを知った。
人間を含め、全ての動物に母がいる。
母親のいない人は誰一人いない。
そうやってこの世界が出来ていたのかと心の底から感じてしまった。

そんな日々を過ごしているといつしか民謡の一言一言、一節一節が私に染み入るように響いてきた。
単なる『お気に入りのチベット民謡』が生き始めた。



moon2

2008.08.02.Sat 14:29 | チベット音楽文化
こぶしだんご


 先日知り合った土産売りの女性に、カム(チベットの東に位置する地方)の歌を歌う人を捜しているのだが知らないかと尋ねると、タンカ(チベット仏画)絵師である旦那様が歌えるから会いに来てはどうかということになった。

(行く行く!仏画絵師に教えてもらうなんていいっ。)

と早速おじゃました。

自宅へは通りからさらに道を下って行くのだが、手みやげのマンゴーだけしか持っていない私でさえきつい。

砂利に足を取られてずっこけないようにしても足の裏で小石がごろりところがって情けない足取り。

彼女は売り物の入ったあの大きな箱を背負って毎日この道を昇り降りしていたのかと驚いた。

私に自らアクセサリーを値引きすると言ってくれた彼女。

こんな思いをしてたのに、と少しじんときてしまった。

ドアを開けると若者が2人ベッドの上でタンカを描いている。

ご主人はどこに?と思いきや、

「この人が主人よ。」

彼女は見た目以上に若かったのでした。

まるで青年のような、そう、20才を少し過ぎた位のそのご主人は少し照れながら私に挨拶をした。

カム弁の初対面の絵描きさんと二人で一体話など通じるのだろうかと不安に思ったが、彼女は仕事中に案内してくれたので、そこで仕事に戻って行った。




さあ、何から尋ねよう。

まずはカム弁を探ろう。

簡単な話からだ。

私の短い自己紹介や彼のことをぽつりぽつりと質問してみた。

だが、意外といける。

カム弁聞こえる!

・・・ところが、よくよく話してみると、

「僕がカム弁で話したらきっとあなたにはまるでわからない。

だから今僕はウツァン(チベットの中央に位置する地方)弁で話してるんだよ。」

と教えてくれた。

そうだったか・・・ウツァン弁。

何とか聞き取れる言葉も多いが、やはり集中力と想像力を総動員しなくてはならない強者。

私のしゃべってるチベット語はラサ(チベットの首都)でしか通じない言葉なのか?




いよいよ歌をリクエストすると、

「僕はあまり上手じゃないよ。」

と前置きをして彼はその筆の手を止めて気持ちの焦点を合わせ始めた。

少し沈黙の時間があき、1つ深呼吸をするとカムルー(カム地方の長唄)が始まった。







     あたしゃ〜馬の〜〜〜背に〜いる〜〜〜

     馬が〜〜〜調子をつけて走るのは〜〜気持ちの〜いい〜〜〜〜〜もんだ〜


     あたしゃ〜母の〜〜〜傍に〜いる〜〜〜

     母と〜〜〜仲がいいのは〜〜気持ちの〜いい〜〜〜〜〜もんだ〜






小さな声だが、まさにカムパ(カム地方の人)。

こぶしが6個7個とだんごのように連結されていて気絶しそうだ。

瞼にチベットの景色、ヤク達の姿が浮かぶ。

まだ見たこともないチベットの風が吹き、においがした。

嗚呼、悲しいくらいに懐かしく、美 し い い い。










2008.10.21.Tue 13:47 | チベット音楽文化
100番、100番、頭はいずこ
いよいよピワンの習得開始!

と、先生の見本にもうメロメロ。

弦のきしむ音が入りまくりなのに、自分の演奏でもメロメロ。

いいーっ!!!

いいいーっ。

嗚呼、やっとバシェ(バ地方の歌)ピワンの弾き方を知ることができた!

ん〜、こういうことだったか。

バシェピワンの演奏法で出た音が私の体を振動させるとこんな感じなのか。

一つの曲を15番も20番もノンストップで弾く私。

本当は100番でもやりたいのだけれど、ご近所のことを考えて控えているのだ。

ほおっておいたら筋肉疲労か空腹で我慢ができなくなるまで続くだろう。

気に入ったパンがあると平気で半年間でも毎日食べ続けるような私は、やはりしつこい性格なのだ。

バシェ1曲の1番分というのは思い切り短い。

それなのに、それなのに、繰り返しまくっても大丈夫!

その魅力。

いつ飽きることやら。

この心地よさは何?

自分の演奏がまだ未熟なのにも関わらず、ちょっと音痴な音がまた味があってたまらん。

言わせといてください。

ぴったりよりぐっときちゃう。

巧くなるのやめようかなあー。

歌詞も良い。

良いのだ。

   バのこっちの山とー あっちの山ぁ〜

   バのあっちの山にゃぁ 羊があふれているよー

   バのあっちの山にゃぁ 羊があふれているよー

ぬははははは。

どうだ! 

この堂々としたシンプルさ。

っかぁ〜・・・シンプルとはこんなに・・・何とも巧く表現ができないけれど、力強く深みがあるんだなぁ。

これを100番ノンストップで演奏してごらんなさい、頭が飛びます。

?!そうか! それを狙っているのか?

シンプルな自然とともにある生活に浸っていれば、ゆったりと広大な草原に腰をおろし、遠くの山並みや太陽の輝きが照らし出す陰影を眺めつつ風に吹かれるはず。

そんな時、歌いたいのは?

頭も吹っ飛ぶような恍惚のシンプルな歌に決まってる。

ん〜、ん〜きっとそうしたらとんでもなく何と言うか、『三昧』のような心地よさを味わえるんだろう。

隣には真っ赤なほっぺをした赤ん坊がねころがっているかもしれない。

その体温を感じながら大きなヤクに寄りかかっているかもしれない。

母がちゃくちゃくと音をさせながらバターを作っているかもしれない。

恋人が日焼けをしたその頑丈な腕で肩を抱きしめているかもしれない。

そろそろあの温かい火の燃える我が家に帰ろうと思っている頃かもしれない。

私はこうやって新しい分野に足を踏み入れて行く度に胸を打たれるのだ。


2008.10.29.Wed 15:12 | チベット音楽文化
お勉強お勉強

歌い方はもちろん、地元の音楽事情の一端を知り、それぞれのアーティストの奏法の違いがどんな所にあるのか、ショーの構成はどうなっているのかやその行程は実際どう運ばれるかなどを見学するぞ。

ということで、行ってきましたチベタンディナーショー。




会場となるレストランに、まずは沢山の楽器を抱えた体格のいいおじいさんアーティストが入って来た。

勢い余って1時間間違えたために一番良い席を確保できたので、かぶりつきでぎょろぎょろ観察。

音合わせから居合わせてしまった私。

おお!先生!

「タシデレ、ゲンラ(先生)。」

「ああ、来てたの。」

2番目に入って来たのは、去年ピワンを教えてもらった先生だ。

先日は私のチベット語の先生がダニェンを習いたいというので、紹介するため先生のところにおじゃましてついでに世間話や音楽の話をしてきたばかり。

・・・んん???ん?

次に入って来たおじさん。

どっかで見たことがある。

テレビだっけ?舞台だっけ?う〜む。

そうだ!この間ショールを買った門前町のお土産や!

なんと、アーティストだったか。




3人のおじさん達はまず、ミネラルウォーターを注文した。

ステージウォーターね、うん、やっぱり必要だ、と思ったら水割り用の水だった。

ステージの端に3杯の水割りが並んだところで、音合わせが始まった。

いいね、いいねえ。

私もパフォーマンスの前に一杯ひっかけると、緊張がほぐれて良い加減になる。

ただこの方達は、楽しいから飲んでるとしか思えない。

飲む前も後も変わらず全く緊張感なし。

しぱらくすると、主役の歌手ケルサン・チューキーさんが登場。

「アチャ、タシデレ。」

「あら、いらっしゃい。」

彼女とも先日、自宅でお茶をいただきながら、『歌手』とは何かについて随分と長い時間語り合った。

だから今日は彼女のいわんとすることが何なのかを垣間見ることができる、実に意義深い機会だ。




いよいよショーが始まると、彼女のダライラマ法王様へ捧げるお経に始まり、歌の内容の説明と共に心地よいペースでプログラムが進んでいった。

3人のおじさんはそれぞれ個性が違うし、彼女はさすが!いろいろな地方の異なったスタイル、雰囲気、リズムの歌を織り交ぜた構成を駆使して、お客さんを飽きさせることなく展開した。

楽器もダニェンは大小3台、ピワンも3台、太鼓。

そしてダンスが3曲ほど。




彼女が先日話していたように、確かにおじさん達とノリが違った。

彼女は全身全霊で丁寧に丁寧に歌う歌手。

一方おじさん達は細かい事抜きでガンガン勢いですっとばし、ダニェンをキュインキュインやっちゃうタイプ。

また古典曲もTIPAで教えているスタイルと違った貴重な歌を聞かせてもらった。

ダンスも然り。

乙姫様のようなひらひらした手をつけず、体の芯が揺れる動きを大切にした舞踊法。

パフォーマンスと化す以前の踊り方だ。

彼女のこだわりの表現。

毎月開催するそうだから、また研究に伺わせていただきます、アチャラ。







 

2008.10.29.Wed 15:21 | チベット音楽文化

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