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様々に去来する思いを透かして
愛するチベット民謡を感じてくれたら。
エマレホー、Tibetan Indigenous Music!
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2015.06.01.Mon | -
この子神の子私の子
子育てに本当に迷っていた。
いろいろ模索した。
子供とはどんな存在なんだ?
どう対応したらいいだろう?
こんな時、どう注意すれば息子は腹の底から理解してくれるだろう?
食べ物は?内臓、心理、社会性の発達は?スピリチュアル的には?と、さんざん研究(?!)した。
私の納得癖が出てしまったのだ・・・納得するまではどうにも止まらない。
つぎつぎ疑問が沸き上がって、教育者や小児科医達の体験談やいくつかの思想や仏教や、はたまたヴェーダ哲学に至るまで納得できる答えを探す。
もちろん、自分自身と息子が体験当事者。
私たちが解答なのだが、にっちもさっちも行かなくなった時に助けが欲しい。
「ん〜これは表面的。」「これは偏ってる。」「これは凝り過ぎ。」etc, etc・・・
と、私の直感と体験に合致し、支柱となるものをひたすら探した。
ここ十数年、何に最もエネルギーを注いだかと言えば、それは歌でもなく演奏活動でもなく、子育てだ。



親子の悲劇を今まで何度ニュースで見せられた事だろう。
母をバットで・・・父をガスで・・・
我が家の近所でも、爆発音と共に両親を吹き飛ばし、亡きものにした中学生の事件が起きた。
私はその家族のそれぞれの生きてきた道のりをつぶさに知っている訳ではないから単純なことは言えない。
だが多くの事件の起きる今の日本を憂慮した時、解決の糸口を考えずにはいられない。
確かにどうにもならない領域というものは存在する。
ー個人を超えた領域、今生を超えた領域・・・
しかしなんとかなるものもあるはずだ。
私自身も実にさまざまな要素と取り組んでみた。
発達段階に応じた対応なり、ある程度の避けたいことや推奨できることというもの存在するのは事実だ。
だが、つまるところ礎になるのはやはり『”神聖な本性”を軸に生きること』かなあという気がする。
もちろん悪不在の浅薄な善は問題外だが、このことを『きれいごと』として捨て去ってしまっていいのだろうか?
おそらくは実際には、親と子の未熟さや歪みによって叱責や衝突はやむことがないだろう。
が、子供の清らかな部分から目をそらさず、そこに触れられることに喜びと感謝の念を抱くことができれば。
親というのは、子供が『究極の神聖なる目的』に向かって行けるような環境や枠組みを与えてやるという手助けを担っている人なんではないだろうか。
そして、ここに来て、当たり前のことだが改めて認識させられたこともある。
たまたま借りて読んだ脳科学者の養老氏の本の中にいい切り口で書かれていたのだが、理屈も通じない、純粋さと同時に残酷さも持ち合わせている子供という『自然』を、気が遠くなるような手間を惜しまずに非常に忍耐強く手入れすることが子育てだということ(都会からは自然は排除され少子化にもつながっているのだ)。
また、ここの子供のように生き生きと子供らしい子供に育てるために大切な事は?と、私がTCVの先生に質問した際に先生が強調された、家族という場で人の温かさを十分に感じさせてあげること。
子供のこまごまとした小さな小さな日常の出来事に、家族全員が心の底から関わることが世界を変えるほどの力を持っていることを、いやもしかしたら何よりも大切かもしれないということを私はチベット人から教わった。



子供が何を案ずる事もなく私たちの胸に飛び込んで歓喜できますように。
「おとうさん、おかあさん、とっっっても愛してるよ、愛してもらってすごく幸せだよ。」
と、シンプルにシンプルに思える子供でいられるように。



日本では、やれPTA会議だ、粗大ゴミの日だ、確定申告だ、やれ塾の迎えだ、お中元だお盆だお歳暮だと、この世の雑事にまみれながらも私は自らに問う。
日常のあり方の中では思いやりが最も重要だと、どんな時も心の底から思っているだろうか?
宇宙の流れに道を譲っているだろうか?
それを生きているだろうか?





fire





2008.12.13.Sat 14:34 | -
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2015.06.01.Mon | -

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