CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
NEW ENTRY
PROFILE
CATEGORY
ARCHIVES
LINK
OTHER
様々に去来する思いを透かして
愛するチベット民謡を感じてくれたら。
エマレホー、Tibetan Indigenous Music!
なんて素晴らしい!
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


2015.06.01.Mon | -
ぶん殴りと暴力
息子は日本に帰りたくないとつぶやく。
何故かを尋ねると、
「ここでは、『先生に言いつけるから』といやらしく言ったり、それを意地悪の理由にしたりする子がいないんだ。
頭に来たら大きな声で文句を言って、それでもやめなきゃぶん殴って、それに対して頭に来たら闘うんだよ、おかあさん。
それを友達もひどくなるまで止めたりしないで許して見ていてくれる。
それがすっきりするんだなあ。
だから、ぐじゅぐじゅ変な風にいじめる子がいないよ。
日本だと、『いけないんだあー。』と無関係な人まで言いにくるし、先生は『とにかく暴力はいけません。』って、もっとひどいことを態度でやった人より、殴った方を責めるじゃないか。」
「なるほど(お前は殴りたいのねと思いつつも)。
一人一人が自分の判断で相手とやり合うってことね。
『暴力はいけません。』の決まりを守ったり、守らせたりというのじゃなく。
ちょっかい出す方も、やられた方もお互いが決まり抜きでガツンとぶつかりあってどう決着をつけるか自分自分で対処する訳ね。
ふむふむ。
それは、やる気がでるね。」

トラブル発生するごとにこれをやっているから、逆にたいした大事にはならず、あっさり一発二発ぶん殴って終わりとか、どなりつけて終わりとかになるようだ。
しかも意外と力の弱い子だって言いたい事は言うし、やりたいことはやる。
もちろん、正義の味方や、判官びいきや、クラス全体が介入する事だって時にはある。
でも決まりを守った破ったというよりは、本人同士の気持ちがどうであるかの方に焦点があるようだ。


dear stone



これはたいした事ではないように見えて、結構重要なことなのかもしれない。
自分自身の身の振りようを自分の責任で決断し、そうする友人をも受け入れるのだ。
生身で相手と対峙する。
そこに決まりという盾はない。
まともに出会うのだ。
正直な感情が湧き出て、相手のそれと混じり合い、自分の力や知恵を存分に発揮させて、結果的に相手とどう折り合うか調整させるころには、相手の心情を考慮に入れなければ対処できない事を体感する。
幼い頃のこんな体験によって人とは何かを理解するのかもしれない。
決めごとが初めからあって守らされるのと、体験的に結論づけられるのとでは大違いだ。
飛び込んでみて初めて何がどうなっているか理解するのだ。

けれども、その土台に特に歪んだ心があっては結果もひどいものになることも然り。
やはり、無邪気さだったり、正当な防衛行為だったり、不当な扱いに対する健康的な怒りということが基本だ。そして日本人ほど罪悪感が強くないことも、事態をこじらせずに済む要因となっているのかもしれない。

日本人がおかしな方向に傾きかけていることと、私がチベット人に惹かれている理由を解明するには、子供のこうした様子をじっくり観察することが多いに役立つ。
そして、物質的にある程度十分な暮らしをし始めた若いチベット人の中に、日本と同じような変化を最近感じ始めたのも事実。

2008.03.29.Sat 19:59 | チベット人
スポンサーサイト

2015.06.01.Mon | -

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.