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様々に去来する思いを透かして
愛するチベット民謡を感じてくれたら。
エマレホー、Tibetan Indigenous Music!
なんて素晴らしい!
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2015.06.01.Mon | -
あってはならないのっぺらぼう
他民族について語るとき、当然皆がさまざまな位置に立っているために、さまざまな表現をする。
一切影などなきが如く、たとえネガティヴなものを目にしても素晴らしさを奉って興奮したままでいる人アリ。
逆に、そんな人達を斜に構えてクールに眺め、欠点が見えない人って子供だなあと前髪をかきあげる人アリ。
良い面を見つけるのが大好きで、悪い面についてはただじっと観察している人アリ。
またその逆に、良い点には割合と鈍感でネガティブな部分を見つけるための触覚があって、ほらやっぱりまただと、次々と欠点を発見してしかめ面をしている人アリ。
自らのスタンスは完結しているとばかりにそこを閉じた世界として、相手の世界にとけ込んでみようとすることを最初から放棄する人アリ。



それでよいのでございます。
ただ自分がどういう傾向を持っているか、どうなりたいかがあるだけなのだから。
私は浸ってみる、嗅いでみる、味わってみる、が好み。
『知りたい、わかりたい、感じたい』が何にもまして優先する。
良さも悪さもどんと来い!
もとい、悪さはそっと来い。
でもとても素敵なものを沢山見せられたら嫌なものを見た時にうんとおまけをしたくなるのだ!
良い加減ですーそれが人情ってもんです。
ネガティブなものというのは誰もがいつかは通る道、通って来た道。
だから、そんなもの達はだた見つめ、その奥を見通せばいい。
そうすれば、悪人と呼ばれる人も悪人でいづらくなる。
チベット人にもそれをやられて、私はよく、ふと気づくと善き人になっていることがある。
どんな人の影も、燦々と輝く光の影でしかない。



と語った同じ口で言いますが、チベット人の頭の固さに愕然とすることがよくある。
頑固と言うんでしょうか?
自信あり過ぎと言うんでしょうか?
自分の価値観を全く疑わないために、他人にとっても当然それが良いのだという確信を持つ人によく出会う。
時に、いくらなんでもそれはないでしょという程の助言には、全く異なる価値観をパワフルに力説してみると、
ある人は黙って微笑。
ある人は全く受けつけず、頭ごなしの完全否定。
ある人は今度はその価値観にすっかり乗り換えて、自分自身を納得させて、そこに固まってしまう。



数年前にチベット人の友人が我が家に滞在した折、彼女が息子の人形を手にしてじっと見つめていた。
その人形は、息子をシュタイナー幼稚園に入れようと、シュタイナー思想を学んでいる時に、本当に苦労して、何度も指に針を刺し、血を流しつつ(!)手作りした人形で、その顔には具がない。
つまり目や鼻や口がないのっぺらぼうだった。
幼児期には未完成の物を与えることによって創造力や意志の力が育まれるという思想。
人形で言えば、その子の心理や創造の世界がどのようなものであっても映し出すことが可能なように、のっぺらぼうにすることで精一杯自由度をあげているというわけだ。
泣きべそ顔、睨んだ顔、しょんぼり顔、にやにや顔、ねむそうな顔、ぐっすり眠った顔・・・。
顔に具がないことで、無限の表情を映し出せる。
その顔に、まさに今彼女はサインペンで目、鼻、口を描こうと息を凝らして集中しているところだった。
「待ってエ〜ッッッ!!! 描かなくていいの!」
「?何で?どうしてよ? のっぺらぼうじゃない。今、私が素敵に描いてあげる。」
説得にはなかなか時間がかかった。
いろいろいろいろ試してやっとアシメトリーにかっこよく壁に掛けた数枚の額が、買い物から帰ったら左右対称に飾り直されてしまっていたこともあった。
しか〜し、様々な価値観に「なるほど、なるほど。」といちいち感心していて、胸をはって物を言えない自分としては、価値観を決めてしまえば人生シンプルに堂々とやっていけるのかもと、またしても感心してしまった。



shoulder bag woman


2008.12.01.Mon 16:38 | チベット人
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2015.06.01.Mon | -

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