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様々に去来する思いを透かして
愛するチベット民謡を感じてくれたら。
エマレホー、Tibetan Indigenous Music!
なんて素晴らしい!
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2015.06.01.Mon | -
このダンス誰の?
文化って何ですか?
チベット伝統音楽が破壊される。
純粋なチベットの音楽が消えかけている。
なんて自分でも言っているけれど、文化ってはっきりここからここまでというように分けることはできないもの。
ってことは?・・・そこで、また頭がぐるぐるし始めた。
チベットは大陸の一部でもある、国境近くは他国の文化としっかり混ざっているはずだ。
そして、かつて入って来たものを土台に出来上がったものもあるに違いない。
そうなるとじゃあ何がその民族のオリジナルの文化と言えるんだろう。
困ったなあ。
ちゃんと文化人類学とか文化論とかを紐解けばいいのに、異文化論を教えている友人から話を聞かせてもらっただけで、自分で推論しようとする面倒くさがり屋。
話はそれるが、最近難しい本が読めないんです。
かつて愛した、難解な論理がずらずらとあるような活字の小さいのは、見る気もしなくなってしまった。
子供のせいにする訳じゃないけれど、子供を産んでからのこと。
体温が感じられないものは、なかなか自分に入ってくれない。
新たな情報が入る門が頭脳からハートや感覚に切り変わってしまったらしい。



う〜ん、う〜ん。
完全には他国と分離できない、然り。
けれど、どう考えても他国とは違う趣あり、然り。
同じものを土台にしたとしても、異なった発展の仕方あり、然り。
けれど、同根なら底流が共通しているために全く無関係ものにはなっていない、然り。
と唸っているうちに、その民族の元の元の元って、やはり環境だ!ということに結局たどり着いた。
当たり前すぎるくらい当たり前のことだが、あらゆるものは環境が作っていると言ってもいい。
もちろん、数千年前からの環境と言えば自然環境。
地形や天気だ。
気温はどうか、日照はどうか、標高はどうか、山地か平地か、岩か砂か、海岸か砂漠か、湿気はどうかなどなど。
だから、臭いも違うし、適した服も違うし、同じ野菜でも味が違うはずだ。
例えばここに来て実感したのが、雨期の天候の循環。
豪雨が降ったかと思えば、一時間後には真っ晴れ、その一時間後には雷、薄日がさしたかと思えば霧。
こんな天気の中暮らしていると、どんな大雨でも「そのうち止むさ。」と平気の平左。
その辺の軒下に駆け込み、雨をじっと眺めたり、小走りで濡れながら家路を急ぐ人を眺めたりして太陽を待つ。
「どうせ日が照るんだから。」と傘もささずに濡れて歩き続ける事も。
これを繰り返していると、人生「どしゃ降りもあれば晴れもある。」つまり「山あり谷あり。」となってくる。
こんな風にして、自然環境によって引き出された人生観が積もり積もってその民族の特性となりはしないだろうか?
そしてもちろん、自然環境によって形作られた、感じる体だって特性となる。
だから逆に言えば、ここの亡命チベット人はインド人化しているってことだ。
ほんと、体つきや物腰が変化しているのに気づく。
ってことは私もちょっぴりインド人化してるのかなあ、なんていうのはどうでもいいですが。
当然、そんな体から出る声は異邦人の体から出る声と異なり、そんな声に似合うメロディーも違ってくるだろう。
それから、考え方も違ってくるなら歌詞も独自になり、違う感じ方によって、ゾクッとくるリズムやメロディーも異なってくるはずだ。
ね、ね、ね、どうでしょう。
もうひとつおもいろいことに気づいてくれた映像作家の友人のIさんがいる。
「チベット人が自然と他者の上に立つような振る舞いー例えば、他人の面倒をみようしたり意見したりするという行動をするのは、もしかしたら標高の高い所に住んでいることで、下界を高い視点で見ているからでは?」と。
そうそう、そんな感じの推論、結構当たっているような気がする。 
従って祖国の地を追われた彼らの文化の土台は、風土抜きの空中に浮かんだ、思い出の文化ということになる。






ngonpa






2008.12.13.Sat 14:20 | チベット音楽文化
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2015.06.01.Mon | -

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