様々に去来する思いを透かして
愛するチベット民謡を感じてくれたら。
エマレホー、Tibetan Indigenous Music!
なんて素晴らしい!
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2015.06.01.Mon | -
インドデビュー

と、そんなチューキーさんのレストランでライブやっちゃいました。

このショーは日本人のツアー客のためのディナーショー(?)だ。

主役はチベット人のセルサンさん。

そして関西で活躍中の中原みわさん。

噂だけで知っていた彼女とずっと会いたかったがついに先日の法王様謁見の席という状況で、対面がかなった。

後ろから声をかけられて振り向いたら彼女が座っていたのだ。

そしてその席で、いきなりライブ出演の誘いを受けた。

ふふふ、それはなんと開演2時間前の事。

ノッてるね!みわさん。

もちろんセルサンさんとも初対面。

どんなアーティストなのか、レパートリーは?など情報ゼロで、しかもリハーサルなし。

数分間(あんまりです)の打ち合わせで音合わせを始める。

が、セルサンさんが高めのチューニング。

ウッソー!

司会はもう私たちの紹介に進んでいる。

けれど主役はチベット人の彼。

音域を変えてしまって、歌が台無しになってしまってはこまる。

「僕はいつもこのチューニングでやってるんだ。」

と言われては今更変えるのも危険だし、みわさんは現在ダムニェン専門。

(よっしゃ!私が降りよう!)

「じゃ、今夜は私ダムニェンあきらめますよ。」

潔く決断しなくてはお客様に申し訳ない。


まずは私が楽器の演奏を仏達に捧げるという内容のナムタル(チベットオペラ)を歌うところから始まった。

けれど、未だ2本のチューニングが合っていない!

次はセルサンさん。

仕方ない、この曲だけ私のダムニェンを使って、セルサンさん。





ん〜、みわさんどうする? ねえ、どうする?

事務室を借り、必死でチューニングをする私たち。

さっきチューキーさんが時間をかけてせっかくやってくれたばかりだが、弦楽器をやったことのある方ならご存知のようにチューニングしたては少し弾けば音は動いてしまう。

相当ずれずれだ。

みわさんの第3弦がっ!と思いきや、セルサンさんの第6弦が・・・!

あっちこっちがずれる。

やっとこさっとこ会わせ終わった。

次は何だ?

セルサンさんが歌い終わって呼びに来た。

2人で急いで相談して、次は彼女のダムニェンに会わせて2人で歌いながら私のダンスということに。

うぬぬぬぬ、リピートは2人とも同じ回数を練習してきたことを祈るのみ。

ずっこけずっこけはしたものの、おそらくはお客様にはさとられなかったと思われる程度に収まった。

そんなどたばたをチューキーサンが微笑みながら見守ってくれている。

お粗末で恥ずかしいなあ、細かい所は目をつむって!と思いながらも、そんなことを考えている場合ではない。

「ダムニェンと歌ばかりだから、次は全員で歌うだけにしてはどう?」

「息子さんも歌えるんでしょ?可愛くて皆喜ぶから是非出演させたらいいわ。」

と有難くアドヴァイスを頂く。

司会のOさんも、もりあがって日本語訳挿入歌を披露されたりして、『おもしろいでショー』となった。

ソロ活動せざるをえない東京在住の私としては、いつもとは大違いですごくらくちんだった。

でも、リハなしはやめようよ。






sersang



2008.11.07.Fri 14:59 | チベット音楽文化
Japanese Mrs. at Miss Tibet

・・・と言っていたのに、またリハなしやっちゃいました。

事前に確認したのに、ここはインド、甘かった。

会場設営のインド人のおじさんとお兄さん達のやることはいちいち抜けていて時間がかかる。

結局、マイクやマイクスタンドの本数から椅子のことなども自分で全て確認しなくてはならない羽目になった。

音響さんも本番中よくCDの音を消しちゃったりして、そういうことねと後で思った。




そうなんです、昨夜『Miss Tibet 2008』のイベントで演奏してきました。

2002年から毎年開催されているこのイベントは、チベット人のチベット人によるチベット人のための今時のエンターテイメントとして多くの老若男女の娯楽のひとつとなっているようだ。

毎年、1500人程のチベット人や西洋人達などの旅行者、そして国内外のメディアが集結する。

そんなイベントに出演することになったのは、親しくしているアーティストが親切なことに勝手にディレクターにお願いしてあり、2人の間で先にお膳立てが済んでおり、5日前に出演決定となったのだ。

またしても土壇場!

しかも、4日間の法王様の教えと潅頂儀式を受けたばかりで、喉と熱の風邪をひき、なんと3日前にゲホゲホよろよろしながら衣装をオーダーするというどたばたぶり。

イヤリングは調達できたが、ブラウスが間に合わない!

よし、袖だけしか見えないのだ、持参した日本のブラウスでしのごう!ってな調子。




物事がスムーズすぎる位、トントン拍子にいっている時は、その流れに身を任すのがよろしいという私のポリシー、そして、やはり何事も経験だし、おじ様達の親切を無にするのは失礼というもの。

とばかりに受けることにしたが、何せ大舞台。

とんでもないことになったなあと思いきや、聴衆の皆さんが人間臭くて楽しみたがりやだから、日本での私とは大違いでまるで我が家にいるように演奏を楽しむことができた。

前奏が始まると歓声、歌い始めると歓声、終わると歓声と拍手とかけ声。

私のトークにもちゃんと大きな反応が来る。

ここのアーティストはいいなあ・・・なんか楽しいなあ。

日本の、『アラを見逃さぬぞ的な視線』がないから、素のままでいける。

チベット人は完成度の高さとは違うところに焦点を合わせているんじゃないだろうか。

音楽とどれだけ一体になっているかとか、演奏者自身がどれだけ楽しんでいるかとか・・・。

歌い終わってからも、実にたくさんの方から「ARIGATO、とてもよかったよ。」と声をかけていただいた。

私は今回のこの経験で、聴衆の方々からあたたか〜い愛情を頂き、またほんの少し前に進む事ができそうだ。




ミスチベットは歌あり、踊りあり、3回のお色直しありで、新人芸能人選考大会みたいだったが、このイベントのディレクターであるロブサン氏が言うように、このような話題性のあるイベントにチベット人が集まることで、海外からも取材が来て、チベット人の存在感を示すことにつながるという意味では意義があるのかもしれない。

最終選考でみごとミスチベットに選ばれたのは、おっとりめでちょっと田舎っぽさが漂う、昨年チベットから亡命してきたばかりの女性だった。

インド生まれで、ぴたぴたのジーンズから腰の肉をはみ出させつつ激しくボリウッドダンスを踊りまくり、オーバージェスチャーのモデル歩きをした女性はどうやら、チベット人代表としての、女性としての品位を求めたチベット人のお眼鏡には適わなかったようだ。




楽器を手に通りを歩くと、「わあー!ちょっとあんた、見せてよそれ。」と何人ものチベット人に呼びとめられる。

「あれえ、これ私のふるさとの楽器だよ!あんた。

ああああ・・・・。わははは。んまははは。いやはー。」

満面の笑みを浮かべていつまでも喜ぶこのおばさんのために、私は道ばたで弾かないわけにはいかなかった。

「わあ!!! ちょっとー!弾いてる弾いてるよお。 わ、わ、わはは。

チベット語で歌ってる、この人! ひゃっはは〜。」

おばさんにふるさとをほんの少しだけ感じさせてあげることができて、私の胸は一杯になった。

音楽によって、今は帰ることがかなわぬ自分自身の故郷につながる喜び。

チベット音楽保存会 Turquoise Beeというものを始めた大きな理由のひとつはこれだ。








 

2008.11.07.Fri 15:07 | チベット音楽文化
へえ〜

ターコイズ色の蜂♬

チベット民謡の中に、そんな歌詞が時折登場する。

どんな蜂なのかなあ・・・広々とした草原に、そんなのが飛んでいたらさぞや陽に輝いて美しいに違いない。

だから歌詞となって残っているんだろう。

ある日、お寺の前を歩いていると、草花の間にキラリンッと輝く昆虫が!

!!!ヒマラヤから南に飛んで来てしまったターコイズ色の蜂がいるのか!と色めき立った。

目を凝らすが、ん〜止まれ!止まれ!よく見えない。

幻のようなこの蜂が見たいんだ!・・・ところが、その正体は・・・いわゆる金バエ。

顔や羽のバランスからして微妙に蜂ではない。

金バエか、そういえばターコイズ色に輝いてるといえば輝いているなあ、ある物の上で。

ここは牛の物もロバの物も、たくさんの犬の物もたっぷりある。




先ほどの私の輝く目は今や道にその視線を落としていた。

ま、いいってことよ。

ところで、私はこのきらめく美しい蜂を名前に冠した団体を立ち上げてジミ〜に活動してもいる。

前回の記事の最後にも書いた、チベット音楽保存会 Turquoise Beeなるものだ。

詳細はここでは書かぬが(いずれはきちんとした形でお知らせできるようにします。)、要は、ふるさとの地を追われたチベット人達の古くからある音楽文化がいつまでも残っていけるようにお手伝いすることが目的。

何故か?・・・文化と切り離すことができぬ祖国の地を離れ、他民族に囲まれ、かつメディアなどの都市文明に身を置いて暮らした時、どうなるかはおわかりだろう。

そして、彼らの音楽文化が本国でも中国風に変容をとげ、どんどんと忘れられていった時、チベット人達はチベット人であることをどうやって何を以て感じることになるのだろうか。

放っておけば、音楽文化だけではない。

民族衣装もすたれ、言語もどんどんと読み書きできる人は少なくなろう。

現にここで、民族衣装を着ているのはオフィスに勤める女性とおばさん、そしてお年寄りだけだ。

息子を留学させた理由の一つは、これでもある。

消滅するー!と騒ぎながら、チベット人の血をひく自分の子供に母国語を習得させないというのも変なものだ。




例えば・・・別に世界がグローバル化して均質化されても生きてはいけるだろうが、まるで舗装道路のようだ。

のっぺらぼうで、どこを歩いても同じ、便利だが心が満たされない。

チベットのどんな片田舎に行っても東京と同じ味で同じ形のファーストフードがあったら?

それと同様に、世界中がポップスだけになったら?

みすずの有名な詩に、『みんなちがって、みんないい』というのがあるが、だからいいのだ。

違うから面白い、そして充実する。

いや、それ以上の存在理由があるはずだ。

世界に色は青だけ、昆虫は一種類の蝶だけ、動物は一種類の牛だけ、人間は典型的なアメリカ人だけだったら?

アイデンティティーなどというものはいらなくなる。

不思議だなあ・・・人間は、元来多様性を好む生物なのだろうか。

そのために、こそ!、生存しているのか。

考えてみれば、均質でいいなら、世界にたった一人の人間がいればそれで済んでしまうだろう。

やはり、多様性がミソなのだ。

ということは、文化が吸収、抹殺されちゃっても別に騒ぐ必要はないんじゃない?とはいかないだろう。

『伝統保存』というと、古いだけで価値があるのかとか、昔のものを保存することにどれ程の意義があるのかと、一瞬もやもやとした疑問が頭をよぎる。

そんな私の今の考えでは、伝統保存の価値として、多様性というキーワードと共に、無意識に、より開かれた存在であることを挙げていいと思う。

異なる文化を尊重し、好奇心をもって互いに近づき、意識の遥か彼方からやって来たものを見せ合うならば、そんな面白い世界はない。

その時、お互いが「へえ〜。」と言うのだ。






 

2008.11.07.Fri 15:12 | チベット音楽文化
崖っぷちのマンドリン
マンドリンを買ってしまった!

何の因果か、私の父は、かつて申年の仲間達と趣味で『スリーモンキーズ』なるマンドリンバンドを結成していた。

自分がマンドリンを弾くなどと考えたこともなかったが、気がついたら楽器屋にいた。

先週から、先日のミスチベットの際に出演したミュージシャンの青年ジクメ君が私の先生となった。

1年前にチベットから亡命。

現在未だ仕事はなく、亡命者用のチャリティーアパートに暮らしながら英語とダムニェンの勉強中。

ウィーン少年合唱団の団員のような風貌のソフトタッチのアムドパ(アムド地方の人)だ。

ミスチベットの楽屋で出演前に練習しているのを耳にした時、私の触覚が彼の歌声を感知!

亡命間もないからか、彼の声やこぶしには素朴な響きが感じられてすっかり魅了されてしまった。

今までもアムドの歌はCDなどでは聞いていたし、実際自分で演奏してもいたが、チベットの臭いがするのは初めてだという気がした。

そうしたら、じっとしてなんかいられない。

やってみた〜い!!!

うつして〜!!!

で、善は急げ。

早速、教授を請うた次第。

来月は帰国だというのに今頃新たな分野に足を踏み入れようと言うのかっ。

いつもの癖?...か。




マンドリンは確かに4〜50年程前に国外からチベットに入ってきた楽器だが、アムドの軽快な曲調に実にマッチしている。

楽しく、ちょっと華やかなその音色が、土臭く骨太の音色を持つダムニェンで演奏した時と随分と趣が異なる。

そこに、東北弁に似た訛りプラス、アムド独特のへらへらした(「へへへへへ」かなあ?)こぶしを乗せると何とも言えず心が浮き立つ。

初日は、ツクラカンの門前で待ち合わせ、彼に連れられコルラの道の途中から少し下りた崖のくぼみに腰をおろしてレッスンが始まった。

下界が見渡せるこの崖でアムドの歌を一緒に歌っていると、なんだかインドであることを忘れてしまいそうだ。

先生である彼がマンドリンを弾きながら遠くを見つめているその視線の先をたどると、鳶が気持ち良さそうに広い青空を舞っている。



雪山

木々

太陽の光



ジクメ先生は、静かに私をリードしてくれる。

無言で私の背中を支えてくれているような感触のレッスンだ。

何度でも繰り返し、何度ころんでも待っていてくれ、そこから一緒に歩いてくれる。

ただし、意識的な質問の答えは期待してはいけない。

彼は何気なく演奏しているのであって、それを言葉にしたことなどない。

だから説明となると「何気なく」の内容や味が反映された回答は返ってこないのだ。

ひたすらじっと目と耳を凝らし、捕まえるしかない。

「マンドリンのチューニングは?」と問うても、ドレミを知らない。

チベット人の名高いミュージシャンの名前も知らない。

今時の音楽も知らない。




私はただそのままに、素直に崖に座って、風に吹かれるように彼の音楽の感触を感じながら少しずつ私を通して向こうの空に放ってみる。

ただチベット民謡を愛する自分のまま。

ただアムドの音に共振した心地良い気持ちの自分のまま。







jigme





2008.11.12.Wed 14:31 | チベット音楽文化
ルー女王の扉
帰国まであと1ヶ月。
とっくに帰りの航空券も買った私が、またもやアムド・ルーという新たな扉を開けてしまった。
一体、私は何枚の扉を開けるつもりなんだろう・・・しかも、新たな扉のその奥にもまた扉があったりして。
人生は面白い。
アムド民謡なんて1ヶ月前まで私の頭の中に全くと言っていい程現実味がなかったのに、あれよあれよという間にご覧の通り、私の中に一つしっかりと位置を占めている。



とぶつぶつ言っているうちに、新しい先生のお宅の前に到着。
習いたくて仕方なかったけれど、今まで探しても手がかりさえなかったのに、来る時は早いものだ。
4つの筋から情報がほぼ同時に入ってきた。
今まであまり縁がなかったとは言え、アムド・ルーは、心のどこかでいつの日かまともに歌えるようになりたいと固く思っていたし、巨人?じゃなくて、女王?牙城?ん?何でもいいですが、とにかく私からすればその前で立ち尽くしてしますような存在の歌なのだ。
そうそう、そういえば先日のアムドの青年達のショーの折に、ジャムヤン君という歌手にリクエストしたら歌ってくれたアムド・ナムタルの歌声を聴いているとモンゴルの臭いがクンクンしてきた。
よく考えてみればアムドはチベットの北東に位置しているのだからやはりモンゴル風味が入っているのだろう。
ん〜、いける。
実は私はモンゴルズバリは大好きとまではいかないけれど、この程よい感じはなかなかいける。
ジクメ君の歌から判断すると、こぶしは喉の力を思い切り抜くことで細かい揺れが出てくるのでないかと思われるが、さらに一瞬ぐっと力を入れて裏声にひっくり返る瞬間にこぶしを回すとルーのそれができあがるはずだ。
まだまだ発見が待っていそうだ・・・ワクワク・・・ワクワクするー。
かすかに声明系の香りを漂わせた懐かしさたっぷりの旋律に、胡桃のような独特のこぶしを散りばめ、山歌の爽快さでまとめあげた堂々たる一品、それをものにしたい!
不思議だ・・・地元歌手と全く同じに歌えるわけはないのに、歌えると気持ちよくてたまらないから習う。
私は何を知るのだ?
何を体験するのだ?



女神という名のその先生は、ルーを歌うにふさわしくロングトーンがずっと張りを保ち続ける声の持ち主だった。
一緒に歌ってみた時、途中でブレスをすると、慰められてしまった。
「仕方ないわ。チベット人だって私のようになかなかこんなに長く息は続かないんだから。」
シェ(いわゆる歌)を歌ってもらうと、ルーとはまた違い、訛りたっぷりでぞくぞくしてきた。
まさに聞きたい部分である肝心のこぶしについてなんやかやと質問してみると、女神先生は
「アムドにね、2人のそれはそれは素晴らしいルーの歌い手がいたの。
けれど、片方はこぶしは入らず、もう片方はこぶしが沢山入った歌い方だったわ。
だから、こぶしが入る入らないが問題じゃないの。
自然にその人なりに出てくるものだから、教えるものでもないのよ。
外国人のあなたには当然難しいはず。
だって私は小さな小さな頃からおばあさんや母の歌をずーっと聞いて育ったんだもの。」
つい私は聞き手としてはこぶし入りが好みなので、歌い手としても入れたいと思ってしまったのだが、そう・か。



声そのものについても人工的に毎日怠らずに訓練することで達成できるというようなスタンスではなく、歌ってみて、結果、よければよし、だめならそれまで、というアドヴァイスはチューキーさんからもいただいた。
「声のトレーニング? 私はやらないわ。
声は出る人は出る。出ない人は出ないだけのことでしかないわ。」
「そこのところをなんとか(汗)。」と言いたいようなやはり言うべきではないような。
んー、私自身、彼らの歌に出来るだけ近づくための努力はしたとしても、必ずいつかは自分に戻る折り返し地点に立つ日が来るとは思っていたが、やはりこれが究極の答えなのか・も。
東京という都会の環境で日本人が自然に歌う・・・早くも自分との折り合いをつける時が訪れたのか。
作り上げないチベット民謡界の女王様方、民謡とは何かがまた一つわかったような気がします。




ladys costume

2008.12.01.Mon 16:42 | チベット音楽文化
民謡輪廻
ふと気付けば、このポイントはチベット仏教の輪廻の考え方と無縁ではないだろうという気がしてきた。
無理なくやってみてうまくならなければそういう認識をするしかない。
私はこの考え方で人生随分と楽になったのだが、つまりはこういうことだ。
輪廻思想になじみの無い方には奇異に思えるかもしれないが、私たちは皆、何度となく生まれ変わってきたのだから、生まれつき得意不得意だとか、いわゆる才能だとかが備わっているのも不思議ではない。
何もそれが立派だとかいうのではなく、前生やそのまた前生に少しずつ訓練が済んでいるか否かだけのこと。
一つの人生の間に、とてつもない努力ができる人がいるというのもまた、そういう素質や歩む道を意識的か無意識的かに関わらず選んだ結果である。
私のチベット民謡への傾倒もこれで説明できるし、ある程度から先なかなか上達しないのも説明できる。
まさにそこが私の今生に練習すべき段階、前生に適当に歌っていたツケなのかもしれないのだ。
逆に(誰であろうがわかるものだと思っていたがそうではないことを知って初めて気づいたのだが)、ある曲をCDで聞いたり、ダンスを何度か見るとそのツボがなんとな〜くわかるのも、前生に適当にやっていたお陰かもしれないではないかっ。
それから、歌い方や声の出し方のあっちこっちを取り出しては、その一つ一つの部分を訓練して作り上げていく方法を採らないということは、入り口が(出口もか・・・)全体性の把握、表現だということだろう。
ディテールを積み上げていくことから入って最後にそれらをつなげるという順番ではなく。
じゃあ細かなところはどうするかと言えば、ふふふ、無意識と体におまかせ!?としか解釈できない。



こういったことを認めれば、心地よい分だけ練習し、自分なりに上達すればよしとなる。
なんとのんびりした話だろう。
しかしそうなればしめたもの、まさにチベット人だ。
チベット民謡の門をくぐったようなもの!?
仮に、今生一発勝負なのだ、スタート地点は皆同じとなれば、出来ない自分が情けなくなってくるし、歯を食いしばって毎日何時間も厳しい練習に耐えてでも技を磨かなければ、だから出来ないんだということになる。
努力至上主義のような。
6〜70年程前にイスラム教徒と中国音大留学生とが共同アレンジした宮廷音楽ではなく、古い民謡であれば一般の遊牧民のものだから、技術面だけのことなら本来少し練習すればその人なりにできるようになるはず。
西洋のクラッシック音楽や中国音楽のように高度なテクニックの必要なものとは違う。
そしてチベット人には何回かの人生をかけてやるから焦らないという雰囲気が本当にある。



ところが、輪廻を超えて生き続けてきたこのゆったりした民謡に一つの運命が見えてくる。
民謡とは民衆の生きた音楽文化であるから、それが風土と切り離された現状では、チベット民謡が生きているとは言いがたいような状況にあるということだ。
少なくとも息絶え絶えになっている。
(亡命の風土と混じり合った、マサラ味などの亡命民謡というような概念で呼べるものは生きているようだが。)
ということはどういうことかと言えば、自然に口ずさむ環境にないわけだから、チベット民謡歌手はフィールドワーカーでなければならないということになってくる。
実際、TIPAもタントンルカルも先生や生徒達が芸術団から外に出て、民謡や舞踊をお年寄りから収集する作業を今も続けているから、様々な地方の様々な特徴を持つ歌を楽しむ事が出来ているのだ。
しかしそれも時間の問題。
収集に漏れてしまった歌達は輪廻することなく永遠に姿を消してしまう。
私たち日本人の耳にとっても体にとっても、おそらくは何か大切な、言葉にできぬ揺さぶりをかけてくれるものが永遠に消滅してしまうのだ。



イエー〜〜イエ〜〜イエ〜イエ〜エ〜〜〜ーーーイエイエ〜エ〜イエイエ〜
ドイスントゥーンイエ〜ズヤリエーイエーレンヤー



今日も朝から、女神先生のように長い一息で最初のフレーズを歌いたくて、喜んで苦しみながら山歌に励む。
抜けるような声で、のびのびと山歌を歌えるようになるのが今生かは神のみぞ知る。





panden triangles





2008.12.01.Mon 16:46 | チベット音楽文化
このダンス誰の?
文化って何ですか?
チベット伝統音楽が破壊される。
純粋なチベットの音楽が消えかけている。
なんて自分でも言っているけれど、文化ってはっきりここからここまでというように分けることはできないもの。
ってことは?・・・そこで、また頭がぐるぐるし始めた。
チベットは大陸の一部でもある、国境近くは他国の文化としっかり混ざっているはずだ。
そして、かつて入って来たものを土台に出来上がったものもあるに違いない。
そうなるとじゃあ何がその民族のオリジナルの文化と言えるんだろう。
困ったなあ。
ちゃんと文化人類学とか文化論とかを紐解けばいいのに、異文化論を教えている友人から話を聞かせてもらっただけで、自分で推論しようとする面倒くさがり屋。
話はそれるが、最近難しい本が読めないんです。
かつて愛した、難解な論理がずらずらとあるような活字の小さいのは、見る気もしなくなってしまった。
子供のせいにする訳じゃないけれど、子供を産んでからのこと。
体温が感じられないものは、なかなか自分に入ってくれない。
新たな情報が入る門が頭脳からハートや感覚に切り変わってしまったらしい。



う〜ん、う〜ん。
完全には他国と分離できない、然り。
けれど、どう考えても他国とは違う趣あり、然り。
同じものを土台にしたとしても、異なった発展の仕方あり、然り。
けれど、同根なら底流が共通しているために全く無関係ものにはなっていない、然り。
と唸っているうちに、その民族の元の元の元って、やはり環境だ!ということに結局たどり着いた。
当たり前すぎるくらい当たり前のことだが、あらゆるものは環境が作っていると言ってもいい。
もちろん、数千年前からの環境と言えば自然環境。
地形や天気だ。
気温はどうか、日照はどうか、標高はどうか、山地か平地か、岩か砂か、海岸か砂漠か、湿気はどうかなどなど。
だから、臭いも違うし、適した服も違うし、同じ野菜でも味が違うはずだ。
例えばここに来て実感したのが、雨期の天候の循環。
豪雨が降ったかと思えば、一時間後には真っ晴れ、その一時間後には雷、薄日がさしたかと思えば霧。
こんな天気の中暮らしていると、どんな大雨でも「そのうち止むさ。」と平気の平左。
その辺の軒下に駆け込み、雨をじっと眺めたり、小走りで濡れながら家路を急ぐ人を眺めたりして太陽を待つ。
「どうせ日が照るんだから。」と傘もささずに濡れて歩き続ける事も。
これを繰り返していると、人生「どしゃ降りもあれば晴れもある。」つまり「山あり谷あり。」となってくる。
こんな風にして、自然環境によって引き出された人生観が積もり積もってその民族の特性となりはしないだろうか?
そしてもちろん、自然環境によって形作られた、感じる体だって特性となる。
だから逆に言えば、ここの亡命チベット人はインド人化しているってことだ。
ほんと、体つきや物腰が変化しているのに気づく。
ってことは私もちょっぴりインド人化してるのかなあ、なんていうのはどうでもいいですが。
当然、そんな体から出る声は異邦人の体から出る声と異なり、そんな声に似合うメロディーも違ってくるだろう。
それから、考え方も違ってくるなら歌詞も独自になり、違う感じ方によって、ゾクッとくるリズムやメロディーも異なってくるはずだ。
ね、ね、ね、どうでしょう。
もうひとつおもいろいことに気づいてくれた映像作家の友人のIさんがいる。
「チベット人が自然と他者の上に立つような振る舞いー例えば、他人の面倒をみようしたり意見したりするという行動をするのは、もしかしたら標高の高い所に住んでいることで、下界を高い視点で見ているからでは?」と。
そうそう、そんな感じの推論、結構当たっているような気がする。 
従って祖国の地を追われた彼らの文化の土台は、風土抜きの空中に浮かんだ、思い出の文化ということになる。






ngonpa






2008.12.13.Sat 14:20 | チベット音楽文化
気功、rainbow body、盆栽
先日、友人から北京で見て来た西蔵民族晩餐演奏会(?チベット人のディナーショー)をビデオで見せてもらったが、ちっがーう!のだ。
明らかに中華風で、故意に肩をいからせて歩いたり、背筋や首筋を伸ばし過ぎていて、京劇が入っている。
チベット人の、あの体の重心移動とパッションで動く舞踊とは明らかに違う。
衣装もごわごわしたものを嫌い、薄手の透けた布で縫製してあるが、それもチベット人の嗜好とはずれている。
私は、目を覆いたくなったけれど『チベットオリジナル』というくくりで線引きすることもまた難しい。
しかもいまや重要な要素であるチベットという地が彼らの手から引きはがされつつある。
お年寄りが亡くなってしまった時点で、幕を閉じるものがあるだろう。



音楽文化人類学的なことは専門家の研究者様にお任せして、私は思った。
「こういう旋律が」とか、「この楽器が」とか、「この奏法が」というものもあるかもしれないが、文化のあらゆる要素を束ねる、その束ね方もオリジナリティーなのではないかと。
チベット音楽文化を研究しておられるT教授にかつてお話を伺ったところ、
「そうねえ、チベット音楽のオリジナリティーってあえて言えばシンプルにするとこかな。」
と答えてくださったことがある。
その真偽の程は私にはわからないが、そういう所、料理の仕方というか組み合わせ方というか、はたまた削り方というか、そういうソフトの部分が独自のものであれば、それもオリジナリティーと言えるだろう。



それから、自然環境と同様に重要な要素が因果(?)のような目に見えない、明解な説明の困難な基礎を見逃すこともできないんじゃないか。
それは、科学という枠には収まらないからおそらくはアカデミックな文化論に入るはずもないものだけれど、私はそれを見たいし、感じている。
その民族の歩いている道があるような気がしてならないのだ。
文化もその道と共にあるような気が。
何と言うのかなあ。
その民族の生き方と言うかサダメと言うのかなあ。
それが文化の土台に大きな影響力を持っていることは否定できないと思う。



何故、中国の舞踊は背筋や首筋をぴんと伸ばして踊るの?
何故、チベットの舞踊は意識的に筋肉を誘導するというよりは、体を揺らした勢いや遠心力を利用して踊るの?
何故、日本舞踊は、首を傾げて斜に構えた決めのポーズを何度もやるの?



それは例えば中華思想を持つ中国の生命観が気功や漢方薬で永遠の長寿を標榜している一方、空の思想を持つチベット人の目指すところが永遠の長寿ではなく究極の死というようなことにも関係しているはず。
我が母国は?と考えると、あれ?何だっけ、「土に還る」生命観、ですよね。
けれども死や生命を正面に据えてきた民族という感じはしない。
八百万の神はいちいちどう生きるだのどう死ぬだのとは考えないのかも。
当たり前に生まれて当たり前に死ぬだけなんだろう。
日本人にとっては、死生観より美意識の方にずっと重心がかかっている気がする。
命あるうちは、自然を堪能したいあまりに、「より美しく」「より自然らしく」手を加えるのも好き。
盆栽や、坪庭や、庭園や陶器やふすま絵などを見るとわかる。
外側を整えることによって内側も整うとする、『型』を重要視する日本文化も美意識から由来したものだろう。
現在でも日本人は姿勢だとか整列だとか、服装や持ち物などの統一だとかをうるさく言う民族だと痛感する。



いずれにしても、こういったそれぞれの民族文化の特質が、音楽文化にも現れることになる。
純粋なオリジナリティー云々は世界の人々がまだ混在していない時代まで遡って議論する必要があるのかも。
けれども、とにかく何千年と続いて来た自然環境が育んできた特性や文化が消えていくのは非常に口惜しい。
今まで通りの振る舞いや生活を禁止され、土台となるふるさとの地を追われた彼らには、もうチベット音楽文化が崩壊するのをただ手をこまねいて見つめているしかないのか。





lhamo make-up






2008.12.13.Sat 14:28 | チベット音楽文化
プカリプカリと流されてまた一曲
歌っているとふと自分自身に動機を問われる時がある。
自分は何のために歌っているのかとか、私の歌は何をしたいのかと問えば、そこにひとつの動機が立ち現れる。
全く趣味の異なる人、違うテーマを生きている人にそっぽをむかれたり、逆にいたく感動されたりするような他人の『評価』のために歌うわけにはいかない。
それではただ気に入られるようにメロディーをきれいに歌ってみせているだけだ。
それにいくら努力したところで全員を喜ばせることは不可能というもの。
そうなれば当然自分自身の納得のできる歌とは何かという問題になる。
納得できていない歌を歌うのは腑に落ちない説教を言葉だけでしているのに似ていて、終わったらさっさと舞台を去りたいような気分になってしまう。
ショーをしても後味が悪い。
自らがしっかりと納得できれば自己チューの音楽ではなく、そこで他者が喜ぶ歌と通底するはずだ。
別に自己チューソングでも構わないんだけれど。
せっかくショーの会場まで足を運んで下さった聴衆の皆さんのために、といろいろ考えるのは、あくまでも皆さんを尊重したいという、人との関係の問題であって、歌そのものと私との関係とはちょっと違う。
そして、限られた時間内にいかにチベット音楽の素晴らしさ、心地よさ、歌い手の私自身の気持ちよさを伝えられるかという側面も、曲のアレンジやショーの構成などに関わってくるが、これもまた然り。
つまり音楽活動と歌そのものとの違いというのかなあ。



チベット音楽には実に様々な種類がある。
私はただ知っている範囲内の好きなメロディーを練習してきたのだが、「あなたはチベット民謡を歌うのをあきらめた方がいい。」と言われた友人の歌手に、この地方のこの歌なら彼女なりの歌として歌えるはずだとアドヴァイスしたことから、じゃあ私自身はどうなんだとふと立ち止まったのだった。
好みや目的や声質や相性や意味や幸運etc.etc.から歌える歌は?
こうやって絞り込んでいくと、今までの漠然とただただ広大なチベット民謡の世界が半分ほどになり、具体的に手に掴もうという動きになってきた。
これとこれとこれを歌おう、この楽器とこの歌唱法は必ずものにしよう、と。
逆に今までしゃかりきになってやってきた曲が、これはおまけでやればいい、これは冗談で弾いてみようとながせるようになった。
全チベット民謡をやろうとするのは、『専業プロ歌手』ではなくて『歌う専業主婦』の私には混乱を招き、負担を増やし、絶望に近寄るだけだ。



仏教と歌の接点にグッルというものがある。
お経や聖者の詩にメロディーがついたものだ。
声明のようなもの。
ぞっこんなのだが、今回、生(ナマ)の先生につくことはかなわなかったが、どうもあきらめないでもよさそうだ。
7人のタンカ絵師と、なんだかこれでもかこれでもかというようなしつこい出会いをして気になっていたのだが、もしかしてこれは!と、ある日ひらめいてしまった。
そうえいば、リンポチェから「是非グッルを歌いなさい」と言われたこともあったなあとか、親しいチベット人アーティストもタンカを描くようになったんだっけとか、母も仏画を描いているんだったと思い出した。



外国に住む外国人の私は、チベット人以上に運にまかせて学ぶしかない。
いくら求めても先生を見つけることがかなわぬ時は、手放してやってくるものをやってくる時に受け入れよう。
するするとうまく行く方向に。



ひとつの縁がそれからそれへと運んでいった
縁ある方へ運んでおくれ            (トゥシェ『ONALAKS』より抜粋)



そうすると自分にも思いも及ばなかかった分野に分け入ることとなるが、それでよいに違いない。
これも仏様のお導き、と思えばもったいないくらいだ。






amlet

2008.12.15.Mon 14:41 | チベット音楽文化
戯れなら選択だ
なんだかんだと書いてきたのだけれど、実は、全ては宇宙の揺らぎにすぎない。
コズミック・ダンス? 幻影? 光のきらめき? カルマの風の動き? 湖のさざ波?
何と呼んでも構わないが、善も悪もなければ、上も下もなく、被害者も加害者もない。
従って、何かを語るのも戯れているにすぎない。
このブログもそういうこと。
皆が、皆の抱えられる分だけ抱え、それたいだけそれたりしながら、好きなように自らの生き様を体現している。
それならば、もっと見たいものを見たらいいんだ。
人は見ようとするものを見るのだから。
悲惨さから目を転じ、チベットの凛とした立ち姿にみとれようじゃないか。
デモで表現するのは構わない。
それは表現だ。
苦しみ、悲しみが湧いてきて仕方がないよ、止めて欲しいんだという気持ちを外に表している。
しかしそこにロックされてしまっては、もしかしたら状況を長引かせてしまうかもしれない。
子供達だってかわいそうがってばかりいたら前に進めないだろう。
彼らの独自の美しい文化や貴重な文化遺産や今まさに生き生きと息づいている人間らしさにフォーカスし、どんな状況でもやっていけると思えるような方向にエネルギーを注いだらどんなに役に立つだろう。



だからもしも気に入ったならばチベット文化に魅了され、それを讃え、それを手に取ってみたらいい。
もしそうしたいならば。
仏教や医学、旅、民族衣装や仏具、チベット語、写真、動植物、歴史、政治、伝記、昔話、ヒーリング、チベット人との交際、アクセサリー、そして音楽・・・。



私にできることと言ったら、チベット人や彼らの音楽文化の素晴らしさを感覚的に伝えること。
『歌の国』
チベットの別名だ。
それほどざくざく宝の山なのだ。
一つ手に取ってその輝きに目を奪われ、ほれぼれとしていると、さらに視野の中にさらなる輝きを放つ宝がそのきらめきを見せてくれる。
私は何年も演奏しているが、次々にそれぞれの曲や地方の異なった魅力に心を奪われ、未だ飽きる事がない。
習得にはちょっと手を焼くから、また手応えがあって病みつきに。
新たな分野をある程度練習していくうちに、「ああ、こういうことか。」とそのツボなり個性なり魅力が見えてくる瞬間が訪れるのがたまらない。
そうすれば、その新たに発見したゾクゾクに乗せて演奏ができるのだ。



馬の並足から速歩へと変わるようなアップテンポパートへ移る瞬間。
いつのまにか恍惚な状態へと誘う、延々と繰り返される心地よいテンポ。
会話の楽しさがある歌垣のやりとり。
数え歌のようなかわいらしさのある、パターンの一定した歌詞。
ん〜快感快感!快感だあーっ。
・・・と失礼、つい、自分の世界に入ってしまいました。



今オペラを聴きつつこれを書いているのだが、凛々しさに聞き惚れてしまう。
聞くだけでなく実際に習うことによって見えてくる違いがわかると、味わいがぐっと深まる。
ロングトーンはこんなにロングだ。
こんなに力強い声のままこぶしを回していたんだ。
こぶしのいろいろな種類にも様々な美しさがあるなあ、などと。
1人2人、大好きなアーティストができるとまた違った鑑賞となる。
他のアーティストとの違いが見えてくるころには、自然とチベット音楽文化の肌に触れる入り口に立っている。
そこへ皆さんを誘うためにできることをさせていただきます。





Reading Lhamo







2008.12.15.Mon 14:43 | チベット音楽文化

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