様々に去来する思いを透かして
愛するチベット民謡を感じてくれたら。
エマレホー、Tibetan Indigenous Music!
なんて素晴らしい!
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2015.06.01.Mon | -
おちょんの箱
日本でのある日、息子が仲良しの女の子と公園で遊んでいるうち、その辺に咲いている野草を摘み始めた。
手に握っている花が花束になる頃、どちらから言い出したのかはわからないが、「小学校の隣の文房具屋さんのおばあちゃんにこれをプレゼントしようよ。」となったそうだ。
2人はちょっとうきうきして歩き出したことだろう。
露草とかヒメジョオンとかオシロイバナとかたんぽぽとか(季節めちゃくちゃ?)、そんな花達だ。
そのおばあさんにかわいらしい野の花の花束をあげると、おばあさんはたいそう喜んでお礼に2人にお菓子をくれたそうで、息子は喜んで帰宅した。



と、次の日その話を聞いた無邪気でいかにも子供らしい友達がうらやましがり、「僕も花束をプレゼントしよう。」というよりは「僕もプレゼントしてお菓子をゲットしよう。」と勢い込んで下校した。
彼は野の花なんか見つけて摘んでいるのは時間もかかるし、貧相だと思ったのか、母親に庭のあじさいをたんともらってボリュームたっぷりの花束を手に文房具屋に向かった。
おばあさんはいつものようにお店の奥にじっと座っている。
「あの、これあげます。」
と差し出したのはいいが、おばあさんからは・・・?
「あら、どうもありがとう。」の一言。
立ち去りがたく少しの間じっとしていた彼にも気づいていなかったに違いない。
彼はお店を出ると、
「このクソババアー!」
と罵声をあびせて走り去ったということだった。
この話を涙が出る程大笑いして、絵に描いたような昔話じゃないのと聞いていた私は、何だっけと思い出すと。



そうだ!『舌切り雀』!
毎日遊びに来ていた雀のおちょんが洗濯のりを食べたことに腹を立てたおばあさんが、おちょんの舌をちょんぎってしまい、おちょんはどこかへ逃げて行った。
おちょんを可愛がっていたおじいさんは、それを知っておちょんを探しに出るがなかなか見つからない。
その途中で様々な人に出会うがおちょんの居場所を教えてあげる代わりに無理難題をやり遂げろと言う
おちょんに会いたい一心でおじいさんはそれを誠実にクリアしてついにおちょんに会うことがかなう。
おちょんはおじいさんにおいしいご馳走をうんと振る舞い、帰りに2つの箱の好きな方をお土産にあげますと言うので、おじいさんは小さい方の箱を選ぶが、帰ってみてみると宝がどっさり。
それを聞いたおばあさんは急いで同じ道を急ぐが、無理難題はごまかしてクリアした振りをし、おちょんが料理を用意しようとするのを断りさっさとお土産をくれろと要求する。
もちろんそれが目的だから大きい方の箱を選んで持ち帰ろうとするが、重くて重くて帰り道に背中からおろしたとたん中からムカデやら蛇やらがわんさと出て来たという話だった。



得が目的の人真似はろくなことにならないのだ。
神様にはちゃんとばれてしまうし、へたをすると悲運が訪れる。
行動する時は、その元となり突き動かそうとするものが澄んだ心かどうか自問した方がいいということだ。
チベット仏教で言う『動機が大事』ってこと。
ということは逆に言えば、真心から何かをしたいという所から行動したら宇宙に鐘が響き渡るのだ!
ディンゴ〜ン、ディンゴ〜ン
それからついでにもうひとつ、何かをしてあげようと思った瞬間、間髪を入れず行動するのがよろしいらしい。
例えば物乞いが視野に入り、「あ、なんて気の毒なんだろう。」と思った瞬間にポケットに手を入れ寄付しようとするが千円札しか入っていなかった時 、egoが出てきて「いいの?千円もあげちゃって。ランチが食べられるのに。」などと言う声を聞き、「え〜とお財布に小銭あったっけ。」なんて考えているうちに物乞いを通り過ぎてしまって宇宙に鐘が鳴る機会を逸してしまう。



真心であることが鍵・・・インコの餌みたいな『真心』という名の、MADE IN CHINAひまわりの種スナックを食べて忘れないようにしようっと。





old monk




2008.12.01.Mon 16:58 | -
インド亡命住宅事情
家賃値上がりの原因は、皮肉にも身内に海外移住した者がいるチベット人達でもある。
我が家は外国人にとっては割安だが、地元の人にとっては割高だ。
もちろん町のメインストリートの付け根であり、参道の終点であるお寺の門のよこっちょという地の利だし、日当りや風通しもよく、仏教論理大学で勉学するためのアパートだから治安もマル。
勉強によし、ちょこっと買いのお店やカフェには事欠かない。
なにせ素朴とは言え、学生街と門前町と国際都市が混ざったような(大げさ)場所だ。
だから総合的に見れば、他の場所よりは高価なのは当たり前だろうが、地元の人はこう言う。
「アーマー! そんな家賃、冗談じゃない。」
・・・ところが、「あ、そ。」というおばさんが来た。
実は私の部屋は一番端で、ドアには『ここで靴を脱いで下さい。』の看板が掲げてあるせいか、完全に受付と化すているので、実にいろいろな人がこの部屋を尋ねてくる。
ところで、あまりにそっ気なく余裕の一言を発したおばさんに、私はもしかしてよく聞こえなかったのかなあと思い、だめ押しのもう一言を言ってみた。
「地元の家賃より高いでしょ?」
すると、さらに何ともない風情でおばさん、
「どうってことないわ、うちには外国に住んでる親戚がいるもの。」
と言いつつ部屋の中の様子をぐるりと眺め回して帰っていった。



ちょーっと待ったア。
今までここを尋ねて来て「ひゃ〜!高い!」と言い残して帰っていったチベット人達は、このおばさんような人が平気な顔で借りてしまったらどうなっちゃうんだ?
しかし、より良い部屋なら高くても借りたいという気持ちは誰でも持っている。
格差がついて、いらない贅沢を求めた高級アパートと最低限の快適さは確保されている安アパートとが出来てくるなら多少は仕方ないけれど、もっと困るのはどんなアパートもどんどん賃料が上げられてしまうことだ。
そんなんじゃ困るんですよ、亡命生活。
広大なチベットに点々と暮らしていた生活とはあまりに差がありすぎる。
今や地元の人の家といったら、日当りについても設備的にもいろいろな面で快適とは言いがたい家が多い。
ワンルームに3〜4人暮らすなんていうのは当たり前だ。
おまけに風や陽がほとんど入らなければ悲惨。
私はそんな部屋にお邪魔した時など、5分程で相当つらくなってくる。



自分たちの国土ではないから土地を買うことも出来ない。
どうしても買いたいなら、インド人の友人が買ったことにして、その人に地代を支払うしかない。
間に信用できる弁護士でもたてなければ、すべてがパーになってしまうことも。
考えただけでもため息がでる。
だからひしめきあって山肌にはりつくように建てられたアパートで、カビやごきぶりとともに暮らすしかない。
インドはただでさえ人口が多いのに、ここは山だから平地は無いに等しい。
従って当然、住宅は密集し、そこに町のゴミや山の湿気が合わさることにより不快な環境となってしまうのだ。
缶を切って、それを何枚も張り合わせて作られた小屋に住んでいる人達さえいる。
夜、脇を通りかかると少しだけめくれた一枚の缶の切れ端から電灯の光が漏れているのが見える。
冬の寒さは凄いものだろうなあ。
雨漏りの対処は、トタン屋根にブルーシートを載せ、石で押さえをするような世界だ。
下水制度や浄水制度がないということは、町が臭く、飲料水も清浄とは言いがたいということだ。
ある人が「猿が水タンクで水浴びしてるの見ちゃった!」と言っていた・・・やめてくれえ。
先日の朝、水を沸かそうと鍋に水を入れたら、何度入れ直してもゴミが入って来た。
いつだたかペットボトルに沢山水を入れたら黄色かった。
そして立派な水道管がないために、常にどこかしらの水道管から水が漏れたり吹き出したりしている。
インドの業者に連絡をとってもはかどらないから、よくモンキースパナを片手に奮闘している人を見かける。
毎朝ふんどしの紐を締め直して生きて行くしかないのだ。





three amalas



2008.12.01.Mon 16:54 | チベット人
ロクパとロクパ
息子にとっての留学最後の第2土曜。
帰国前に、寮生活の友達にもおもちゃを分けるために、太陽君が任命を受けて代表としてやって来た。
息子は、その日はスクールバスに一緒に乗って帰ってくるんだと勇んで登校。
下校後の話では、バスの中でブラウニー君達いつものバスメンバーと冗談を飛ばして楽しく帰って来たようだ。



初日の金曜日は久しぶりのせいか、それとも蜂の子君がいないせいか、やけに静かな太陽君。
翌日は早速朝日の中、太陽君がとても楽しみにしていたおもちゃ分け。
2人はちょこんとしゃがんで、「これはあいつにふさわしい」とか「これはこういう使い方ができて面白い」とか「あいつはいくつ欲しがってた」とか言いながらいくつかの袋に分配している。
作業が終わり2人は散歩に出かけたかと思うと、新しい友達を連れて帰って来た。
「おかあさん、この子も部屋に入っていいでしょ?」
太陽君も息子もワクワクして胸が張り裂けそうなのが分かる。
「もちろん!!!」
同じクラスの子で、アムドパのトンカツ君。
昔の太陽君のように照れちゃってドアの影にじっとして固まっている。
「恥ずかしがることないわよ。さあ、お入りなさい。」
何度か促してやっと入ってきて静かに座っているが、ちらりちらりと私を盗み見しているのがわかる。
調査中なのね・・・どんなおかあさんなのか探っているのだ。
少し太めの彼は、大きな目にくるんとカールしたまつ毛が、ハスキーな声と不思議な調和を醸し出している。



しばらくするとショーが始まる時間が近づいて来た。
そう、今日はその名もロクパ・フェスティバルというチベット人を助けようという趣旨のイベントがある。
収益金は全て、世界中でのチベットの旗の普及や亡命チベット人のための保育園運営などの資金にあてられるというもの。
ゆっくりとおしゃべりしながら歩き始めた。
道すがら3人はリストバンドを見つけると目が丸くなって立ち止まった。
「オイ、これ買おうぜ。なかなかいいだろ。
いくらするんだ? エイ、バイヤー(呼びかける時のヒンディー語)ひとついくら?」
「オイ、安いよ安い、どうする?
オレ、赤にする。お前は?」
ごちゃごちゃと相談しあってそれぞれが決め終わるとトンカツ君が全員分の支払いを済ませてしまったので、あわててお金を渡すが彼はまったく受け取る気がない。
「いいよ。どうして? だってオレの友達だもん。」
その後、お腹がすくだろうとじゃがいもまんやスナックを皆に買ってあげたが、断っても持ってくれる。
私が電話のために立ち止まると、
「おかあさんを待っていようよ。」
と私が心配しないように、常に目が届くように気遣ってくれているのがよくわかる。
やんちゃにゲラゲラ笑いながらいたずらしたり、あっちこっちと走り回ってやりたい放題しているのに、私の役に立とうとしたり、注意を大事に心に留めてくれる。
またまたチベットの子供がいとおしくなってしまった。
いい。
この2人、日本にもらって帰りたい!
息子もぜいたくな悩みにため息をついた。
「あ〜あ、今になってまたいい友達ができちゃった。
日本に帰るのつらくなっちゃうなあ。」



到着すると、会場はちょうどバスケットのファイナル試合に沸いていた。
表彰式が始まる頃、ミニ気球が次々と上げられ、私たちはそれに見とれているうちにショーが始まった。
帰りの夜道は3人の面白おかしい空想のお話でまたひと盛り上がりし、さらに絆が深まってしまったのだった。





red chuba girl






2008.12.01.Mon 16:50 | チベット人
民謡輪廻
ふと気付けば、このポイントはチベット仏教の輪廻の考え方と無縁ではないだろうという気がしてきた。
無理なくやってみてうまくならなければそういう認識をするしかない。
私はこの考え方で人生随分と楽になったのだが、つまりはこういうことだ。
輪廻思想になじみの無い方には奇異に思えるかもしれないが、私たちは皆、何度となく生まれ変わってきたのだから、生まれつき得意不得意だとか、いわゆる才能だとかが備わっているのも不思議ではない。
何もそれが立派だとかいうのではなく、前生やそのまた前生に少しずつ訓練が済んでいるか否かだけのこと。
一つの人生の間に、とてつもない努力ができる人がいるというのもまた、そういう素質や歩む道を意識的か無意識的かに関わらず選んだ結果である。
私のチベット民謡への傾倒もこれで説明できるし、ある程度から先なかなか上達しないのも説明できる。
まさにそこが私の今生に練習すべき段階、前生に適当に歌っていたツケなのかもしれないのだ。
逆に(誰であろうがわかるものだと思っていたがそうではないことを知って初めて気づいたのだが)、ある曲をCDで聞いたり、ダンスを何度か見るとそのツボがなんとな〜くわかるのも、前生に適当にやっていたお陰かもしれないではないかっ。
それから、歌い方や声の出し方のあっちこっちを取り出しては、その一つ一つの部分を訓練して作り上げていく方法を採らないということは、入り口が(出口もか・・・)全体性の把握、表現だということだろう。
ディテールを積み上げていくことから入って最後にそれらをつなげるという順番ではなく。
じゃあ細かなところはどうするかと言えば、ふふふ、無意識と体におまかせ!?としか解釈できない。



こういったことを認めれば、心地よい分だけ練習し、自分なりに上達すればよしとなる。
なんとのんびりした話だろう。
しかしそうなればしめたもの、まさにチベット人だ。
チベット民謡の門をくぐったようなもの!?
仮に、今生一発勝負なのだ、スタート地点は皆同じとなれば、出来ない自分が情けなくなってくるし、歯を食いしばって毎日何時間も厳しい練習に耐えてでも技を磨かなければ、だから出来ないんだということになる。
努力至上主義のような。
6〜70年程前にイスラム教徒と中国音大留学生とが共同アレンジした宮廷音楽ではなく、古い民謡であれば一般の遊牧民のものだから、技術面だけのことなら本来少し練習すればその人なりにできるようになるはず。
西洋のクラッシック音楽や中国音楽のように高度なテクニックの必要なものとは違う。
そしてチベット人には何回かの人生をかけてやるから焦らないという雰囲気が本当にある。



ところが、輪廻を超えて生き続けてきたこのゆったりした民謡に一つの運命が見えてくる。
民謡とは民衆の生きた音楽文化であるから、それが風土と切り離された現状では、チベット民謡が生きているとは言いがたいような状況にあるということだ。
少なくとも息絶え絶えになっている。
(亡命の風土と混じり合った、マサラ味などの亡命民謡というような概念で呼べるものは生きているようだが。)
ということはどういうことかと言えば、自然に口ずさむ環境にないわけだから、チベット民謡歌手はフィールドワーカーでなければならないということになってくる。
実際、TIPAもタントンルカルも先生や生徒達が芸術団から外に出て、民謡や舞踊をお年寄りから収集する作業を今も続けているから、様々な地方の様々な特徴を持つ歌を楽しむ事が出来ているのだ。
しかしそれも時間の問題。
収集に漏れてしまった歌達は輪廻することなく永遠に姿を消してしまう。
私たち日本人の耳にとっても体にとっても、おそらくは何か大切な、言葉にできぬ揺さぶりをかけてくれるものが永遠に消滅してしまうのだ。



イエー〜〜イエ〜〜イエ〜イエ〜エ〜〜〜ーーーイエイエ〜エ〜イエイエ〜
ドイスントゥーンイエ〜ズヤリエーイエーレンヤー



今日も朝から、女神先生のように長い一息で最初のフレーズを歌いたくて、喜んで苦しみながら山歌に励む。
抜けるような声で、のびのびと山歌を歌えるようになるのが今生かは神のみぞ知る。





panden triangles





2008.12.01.Mon 16:46 | チベット音楽文化
ルー女王の扉
帰国まであと1ヶ月。
とっくに帰りの航空券も買った私が、またもやアムド・ルーという新たな扉を開けてしまった。
一体、私は何枚の扉を開けるつもりなんだろう・・・しかも、新たな扉のその奥にもまた扉があったりして。
人生は面白い。
アムド民謡なんて1ヶ月前まで私の頭の中に全くと言っていい程現実味がなかったのに、あれよあれよという間にご覧の通り、私の中に一つしっかりと位置を占めている。



とぶつぶつ言っているうちに、新しい先生のお宅の前に到着。
習いたくて仕方なかったけれど、今まで探しても手がかりさえなかったのに、来る時は早いものだ。
4つの筋から情報がほぼ同時に入ってきた。
今まであまり縁がなかったとは言え、アムド・ルーは、心のどこかでいつの日かまともに歌えるようになりたいと固く思っていたし、巨人?じゃなくて、女王?牙城?ん?何でもいいですが、とにかく私からすればその前で立ち尽くしてしますような存在の歌なのだ。
そうそう、そういえば先日のアムドの青年達のショーの折に、ジャムヤン君という歌手にリクエストしたら歌ってくれたアムド・ナムタルの歌声を聴いているとモンゴルの臭いがクンクンしてきた。
よく考えてみればアムドはチベットの北東に位置しているのだからやはりモンゴル風味が入っているのだろう。
ん〜、いける。
実は私はモンゴルズバリは大好きとまではいかないけれど、この程よい感じはなかなかいける。
ジクメ君の歌から判断すると、こぶしは喉の力を思い切り抜くことで細かい揺れが出てくるのでないかと思われるが、さらに一瞬ぐっと力を入れて裏声にひっくり返る瞬間にこぶしを回すとルーのそれができあがるはずだ。
まだまだ発見が待っていそうだ・・・ワクワク・・・ワクワクするー。
かすかに声明系の香りを漂わせた懐かしさたっぷりの旋律に、胡桃のような独特のこぶしを散りばめ、山歌の爽快さでまとめあげた堂々たる一品、それをものにしたい!
不思議だ・・・地元歌手と全く同じに歌えるわけはないのに、歌えると気持ちよくてたまらないから習う。
私は何を知るのだ?
何を体験するのだ?



女神という名のその先生は、ルーを歌うにふさわしくロングトーンがずっと張りを保ち続ける声の持ち主だった。
一緒に歌ってみた時、途中でブレスをすると、慰められてしまった。
「仕方ないわ。チベット人だって私のようになかなかこんなに長く息は続かないんだから。」
シェ(いわゆる歌)を歌ってもらうと、ルーとはまた違い、訛りたっぷりでぞくぞくしてきた。
まさに聞きたい部分である肝心のこぶしについてなんやかやと質問してみると、女神先生は
「アムドにね、2人のそれはそれは素晴らしいルーの歌い手がいたの。
けれど、片方はこぶしは入らず、もう片方はこぶしが沢山入った歌い方だったわ。
だから、こぶしが入る入らないが問題じゃないの。
自然にその人なりに出てくるものだから、教えるものでもないのよ。
外国人のあなたには当然難しいはず。
だって私は小さな小さな頃からおばあさんや母の歌をずーっと聞いて育ったんだもの。」
つい私は聞き手としてはこぶし入りが好みなので、歌い手としても入れたいと思ってしまったのだが、そう・か。



声そのものについても人工的に毎日怠らずに訓練することで達成できるというようなスタンスではなく、歌ってみて、結果、よければよし、だめならそれまで、というアドヴァイスはチューキーさんからもいただいた。
「声のトレーニング? 私はやらないわ。
声は出る人は出る。出ない人は出ないだけのことでしかないわ。」
「そこのところをなんとか(汗)。」と言いたいようなやはり言うべきではないような。
んー、私自身、彼らの歌に出来るだけ近づくための努力はしたとしても、必ずいつかは自分に戻る折り返し地点に立つ日が来るとは思っていたが、やはりこれが究極の答えなのか・も。
東京という都会の環境で日本人が自然に歌う・・・早くも自分との折り合いをつける時が訪れたのか。
作り上げないチベット民謡界の女王様方、民謡とは何かがまた一つわかったような気がします。




ladys costume

2008.12.01.Mon 16:42 | チベット音楽文化
あってはならないのっぺらぼう
他民族について語るとき、当然皆がさまざまな位置に立っているために、さまざまな表現をする。
一切影などなきが如く、たとえネガティヴなものを目にしても素晴らしさを奉って興奮したままでいる人アリ。
逆に、そんな人達を斜に構えてクールに眺め、欠点が見えない人って子供だなあと前髪をかきあげる人アリ。
良い面を見つけるのが大好きで、悪い面についてはただじっと観察している人アリ。
またその逆に、良い点には割合と鈍感でネガティブな部分を見つけるための触覚があって、ほらやっぱりまただと、次々と欠点を発見してしかめ面をしている人アリ。
自らのスタンスは完結しているとばかりにそこを閉じた世界として、相手の世界にとけ込んでみようとすることを最初から放棄する人アリ。



それでよいのでございます。
ただ自分がどういう傾向を持っているか、どうなりたいかがあるだけなのだから。
私は浸ってみる、嗅いでみる、味わってみる、が好み。
『知りたい、わかりたい、感じたい』が何にもまして優先する。
良さも悪さもどんと来い!
もとい、悪さはそっと来い。
でもとても素敵なものを沢山見せられたら嫌なものを見た時にうんとおまけをしたくなるのだ!
良い加減ですーそれが人情ってもんです。
ネガティブなものというのは誰もがいつかは通る道、通って来た道。
だから、そんなもの達はだた見つめ、その奥を見通せばいい。
そうすれば、悪人と呼ばれる人も悪人でいづらくなる。
チベット人にもそれをやられて、私はよく、ふと気づくと善き人になっていることがある。
どんな人の影も、燦々と輝く光の影でしかない。



と語った同じ口で言いますが、チベット人の頭の固さに愕然とすることがよくある。
頑固と言うんでしょうか?
自信あり過ぎと言うんでしょうか?
自分の価値観を全く疑わないために、他人にとっても当然それが良いのだという確信を持つ人によく出会う。
時に、いくらなんでもそれはないでしょという程の助言には、全く異なる価値観をパワフルに力説してみると、
ある人は黙って微笑。
ある人は全く受けつけず、頭ごなしの完全否定。
ある人は今度はその価値観にすっかり乗り換えて、自分自身を納得させて、そこに固まってしまう。



数年前にチベット人の友人が我が家に滞在した折、彼女が息子の人形を手にしてじっと見つめていた。
その人形は、息子をシュタイナー幼稚園に入れようと、シュタイナー思想を学んでいる時に、本当に苦労して、何度も指に針を刺し、血を流しつつ(!)手作りした人形で、その顔には具がない。
つまり目や鼻や口がないのっぺらぼうだった。
幼児期には未完成の物を与えることによって創造力や意志の力が育まれるという思想。
人形で言えば、その子の心理や創造の世界がどのようなものであっても映し出すことが可能なように、のっぺらぼうにすることで精一杯自由度をあげているというわけだ。
泣きべそ顔、睨んだ顔、しょんぼり顔、にやにや顔、ねむそうな顔、ぐっすり眠った顔・・・。
顔に具がないことで、無限の表情を映し出せる。
その顔に、まさに今彼女はサインペンで目、鼻、口を描こうと息を凝らして集中しているところだった。
「待ってエ〜ッッッ!!! 描かなくていいの!」
「?何で?どうしてよ? のっぺらぼうじゃない。今、私が素敵に描いてあげる。」
説得にはなかなか時間がかかった。
いろいろいろいろ試してやっとアシメトリーにかっこよく壁に掛けた数枚の額が、買い物から帰ったら左右対称に飾り直されてしまっていたこともあった。
しか〜し、様々な価値観に「なるほど、なるほど。」といちいち感心していて、胸をはって物を言えない自分としては、価値観を決めてしまえば人生シンプルに堂々とやっていけるのかもと、またしても感心してしまった。



shoulder bag woman


2008.12.01.Mon 16:38 | チベット人
人は外
 このマクロードガンジーという町の中心街は実に狭い。

15分くらいもあれば端から端まで歩くことができる。

そこにお寺やらお土産屋、雑貨屋、八百屋、喫茶店、レストラン、サイバーカフェなどがひしめいている。

従って、毎日2回もそこを往復していれば面が割れてくる。

そして道はいつでも人で一杯だ。

朝は5時ころから夜の9時半くらいまで町は静まることがない。

お土産屋同士の声の掛け合いやら知り合いの挨拶やらちょっとした小競り合いの罵声やら・・・。

現地人に国の内外からの観光客とそれに対応したタクシーやリキシャ、牛、野良犬、物乞いが加わる。

ビッビィー、ワンワン、ボンジュール?、じゃあまた、マネー

バイヤーッ!、モ〜、ハロータクシー?、トットット、タシデレ

ナマステ、ビーーーッ、デボ?、アンニョンハセヨ〜

ってな感じだ。

臭いも様々、人々の外見も様々、音も様々なものが入り混じってこの町ができている。




お数珠や、護摩のための香となる松などを携え、早朝から続々とチベット人達がお寺詣でに出かける。

息子を送りに行く道すがら、そんな彼らと大勢すれ違う。

町の要所要所にはチベット風のパンとカプセ(かりんとう)とベジモモ(野菜の入ったふかしまんじゅう)の売り子達が毎日やはり早朝から店を出している。

土産店の中は無人、しめしめと思ってウィンドウショッピングを堪能していると背後から店員が入ってくる。

店員が外にいるせいだ。

ほとんどは道の反対側で隣の店の店員と話をしたりチャイを飲んでいる。

それに屋台が多いから当然屋外に人が増える。

買い物や立ち食いをする人達。

ちょっとしたおやつになる韓国の辛いところてんもどきとか、揚げ菓子とか、焼きトウモロコシとかを売る屋台もあれば、アクセサリーやショールや漢方薬、カタ(チベットのスカーフ)売り、靴下売りなんてのもいる。

また水回りが外にある家もまだ多く、そうなれば家事の多くが屋外の作業となる。

食器洗いも洗濯も外でしゃがんでする。

トイレだって雪降る真夜中だろうが下痢だろうがいちいち外の共同トイレへ。

しかも、我が家の隣のツクラカンでは行事がしばしば行われ、そうなれば世界中の人々が集まってくる。




こんな風だから寂しくない。

目が覚める頃には町には音が行き交っているし、早寝の私が寝る頃まで誰かしらの声が聞こえる。

帰国したらこれがこたえる。

逆ホームシックになってしまうのだ。

これは部屋の中だけで作れるような状況ではなく、どうにもならない。

そういえば、私の親戚のチベット人が来日した際、公園でひとりぼーっと座っていたら奇異な目で見らるので、すぐ帰って来たなんてことがあった。

ぼーっと暇してる人は少ないし、するなら室内でするのが日本流。

そして朝早く、買い忘れたパンを買うためにコンビニに行くときなど、スーツを着たおじさんやお姉さんたちが脇目もふらず足早に通り過ぎすれ違う。

そうしなければならない便利できっちりした世界なのさ。

ご近所のご主人を見つけて「おはようございます。」と言えば、「おはようっす。」とさっさと駅に急ぐのが普通。

(文房具屋のお兄さんが、「アチャ、これ食べたら?」と立ち食いのお菓子を勧めてくれたっけなあ。)

(立ち止まって握手したまま短い立ち話を一日何回しただろう。)

(用もないのにお坊さんの友人から電話がかかってきたっけなあ。)

などとなつかしんでは足取りが重くなる。




だからまた懲りずにここに来ちゃうんです。

日本でも私の周りにこんなこミュニティーができていったら。










2008.11.21.Fri 15:14 | チベット人
崖っぷちのマンドリン
マンドリンを買ってしまった!

何の因果か、私の父は、かつて申年の仲間達と趣味で『スリーモンキーズ』なるマンドリンバンドを結成していた。

自分がマンドリンを弾くなどと考えたこともなかったが、気がついたら楽器屋にいた。

先週から、先日のミスチベットの際に出演したミュージシャンの青年ジクメ君が私の先生となった。

1年前にチベットから亡命。

現在未だ仕事はなく、亡命者用のチャリティーアパートに暮らしながら英語とダムニェンの勉強中。

ウィーン少年合唱団の団員のような風貌のソフトタッチのアムドパ(アムド地方の人)だ。

ミスチベットの楽屋で出演前に練習しているのを耳にした時、私の触覚が彼の歌声を感知!

亡命間もないからか、彼の声やこぶしには素朴な響きが感じられてすっかり魅了されてしまった。

今までもアムドの歌はCDなどでは聞いていたし、実際自分で演奏してもいたが、チベットの臭いがするのは初めてだという気がした。

そうしたら、じっとしてなんかいられない。

やってみた〜い!!!

うつして〜!!!

で、善は急げ。

早速、教授を請うた次第。

来月は帰国だというのに今頃新たな分野に足を踏み入れようと言うのかっ。

いつもの癖?...か。




マンドリンは確かに4〜50年程前に国外からチベットに入ってきた楽器だが、アムドの軽快な曲調に実にマッチしている。

楽しく、ちょっと華やかなその音色が、土臭く骨太の音色を持つダムニェンで演奏した時と随分と趣が異なる。

そこに、東北弁に似た訛りプラス、アムド独特のへらへらした(「へへへへへ」かなあ?)こぶしを乗せると何とも言えず心が浮き立つ。

初日は、ツクラカンの門前で待ち合わせ、彼に連れられコルラの道の途中から少し下りた崖のくぼみに腰をおろしてレッスンが始まった。

下界が見渡せるこの崖でアムドの歌を一緒に歌っていると、なんだかインドであることを忘れてしまいそうだ。

先生である彼がマンドリンを弾きながら遠くを見つめているその視線の先をたどると、鳶が気持ち良さそうに広い青空を舞っている。



雪山

木々

太陽の光



ジクメ先生は、静かに私をリードしてくれる。

無言で私の背中を支えてくれているような感触のレッスンだ。

何度でも繰り返し、何度ころんでも待っていてくれ、そこから一緒に歩いてくれる。

ただし、意識的な質問の答えは期待してはいけない。

彼は何気なく演奏しているのであって、それを言葉にしたことなどない。

だから説明となると「何気なく」の内容や味が反映された回答は返ってこないのだ。

ひたすらじっと目と耳を凝らし、捕まえるしかない。

「マンドリンのチューニングは?」と問うても、ドレミを知らない。

チベット人の名高いミュージシャンの名前も知らない。

今時の音楽も知らない。




私はただそのままに、素直に崖に座って、風に吹かれるように彼の音楽の感触を感じながら少しずつ私を通して向こうの空に放ってみる。

ただチベット民謡を愛する自分のまま。

ただアムドの音に共振した心地良い気持ちの自分のまま。







jigme





2008.11.12.Wed 14:31 | チベット音楽文化
行き止まり
そう言えば、日本ではこんなことがあった。

息子がとても大好きで仲良しの子に20円だか30円のガムを買ってあげたら、その子が返金しに来た。

お母さんに注意されたらしい。

また、一緒に遊んでいた友達が玄関先に来て、入りたそうだったので、家の中で15分程遊ばせたら、夜お母さんからご丁寧にお礼の電話が入った。

2股の木にゴムをつけたパチンコを友達にもあげられるようにと私の父が作ってくれ、それを使って一緒に楽しく遊んだ友達にあげたら危ないから返して来いとお母さんに言われ返しに来た。

カードゲームのカードをお互いじっくり交渉して交換した数時間後、高いカードだから交渉は取り消せとお父さんに言われたと、その子が夜、交換キャンセルに来た。

チベット人の子供達は、あげたいと思ったらノートだって、お小遣いだって、ゲームだってあげちゃう。

息子は「これこそが、ひとつ格別の嬉しさを感じられるんだなあ」と、とても喜んでいる。

あげたりもらったり・・・あげる喜び、もらう喜び。

実はこの行為はものすごいことを子供達に教えてくれているのだ。




「悪いニュースなんですけど、お宅のお子さんがうちの子に石を投げたそうなんです。嘘を言うかもしれないからお宅の息子さんの言うことは疑った方がいいですよ。」と真剣におしかりの電話を受けいや〜な気持ちで息子の帰宅を待っていると、何度確認しても友達は投げたけれど息子は石を投げる真似をしただけだと言う。

その子の意地悪さにいろいろなことをして数人で対抗したらしい。

「誤解されるようなことをするでない。」と言いつつ、ならばその子は一体真実を語っているのだろうかとふと思った。

母親自身が『子供の言うことを信じるべからず』と言ったではないか。

それならばその子の言うこととて真偽の程はわからぬのではないか。

夜、再びその母親から電話が入った。

「もしもし、あの、息子さんは石を投げてないそうです。ごめんなさいね〜え。」

「・・・。」

日本はもう少し子供に任せたり、大きな流れを受け入れたりした方がいいかもしれない。

こういうことが続く社会は、息が詰まる。

「そうだ!こうしよう!」と思ういきいきとしたものがが行き止まりになっているような感覚がある。

子供の試行錯誤や冒険心を、心身の多少の危険を覚悟で見守りたい。

そしてお互いに見守るコミュニティーであって欲しい。

子供同士の毎日はどんな心模様なのか私たちに知る術はないのだ。

ひとつの出来事の範囲内で結論を出すのは単純すぎるし、傷つく程度も怒る程度も内気の程度も違う者同士の心の化学反応を完全に把握することなどできはしないのだ。




ここでは喧嘩や投石が叱られることはあるが、親が登場して相手の親を叱責するということはまずありえない。

ほとんどが当事者同士で片を付ける。

それがだめなら、仲間か年長の子供が登場、それがだめならその場に居合わせた大人が止めるのだ。

先日こんなことがあった。

バスで一緒の中学生のお兄さん同士が、バスを待っている時に殴り合いの喧嘩となった。

先生が発見して止めに入ったが、頭に血が上っているお兄さんは大きい上に腕力があって先生も歯が立たない。

結局片方が鼻血と涙を出したところあたりで、終結した。

血の気の多い中学生の男の子。

そこまでやりなさんなという感じだが、こんなことによって当人同士も、それを見ていた年下の子供達も、あそこまでやるとどうなるのかを目撃し、適当なところで折り合いをつけるか我慢をしようと自戒するのだろう。

彼らはこんな風に体当たりの喧嘩をするのだけれど、大方、イイモンの方が強いことがわかったと息子は言う。

「おかあさん、悪い方は、結局弱虫なんだよ本当は。」・・・確かに。

よほどの屈折したものから出る悲痛なパワーは破壊に突進するけれど、ここでは鼻血止まりかな。

燃え上がる誠の闘志はイイモンを勝利に導く。

そしてもっとスゴいことは、ここではイイモンが圧倒的多数派だということだ。







children on a hill







2008.11.12.Wed 14:27 | 日本人
メラメラ祭りだ、祭りだあ
 インドのお祭りが始まった!

何の?かよくわからないのだけれど、ジョギワラ・ロードという通りに屋台がずらりとならんでにぎやかだ。

ここが終わるとまた次の開催地、また次の開催地とインド中を回るのだそうだ。

日本のお祭りを恋しがっていた息子も大喜び。

竹の柱にブルーシートの即席出店に、すごい数のおもちゃやアクセサリー、家庭雑貨、飾り、古着・・・。

しかしこれだけガラクタが並んでいると、選びたくなるのだ(!)。

『ゲテモノ』、『まずうま』、『通好み』が山とディスプレーされている。

へこんだ顔の赤ちゃんやら、ねずみだか馬だか犬だかわからないゼンマイ仕掛けの人形やら、空き缶を切り抜いて作ったようなブレスレットやら、鏡に派手なアニメーション風神様が描かれた壁掛けやら・・・。

んっふっふ、私はこういうの結構いけるんです。

自分のために10ルピー(約30円)のイヤーカフをひとつ買い、撮影大会だ。




息子にはお小遣いを渡し、例の3人の子供達には見繕ってお土産を買った。

太陽君と蜂の子君には、TCVで流行中のプロレスのレスラー達がカードになっているものを発見して即決。

しかも嬉しいことに、教室でなりきっているというそのレスラーが表紙のカードケースがそれぞれあったのだ!

やった、やったー。

え〜と太陽君は、いわゆるレスラーらしくなく、野球帽に半ズボン、Tシャツ姿で登場し、リングに立つとさりげなくレスラー化するところがクールな、元アーミーのつよ〜いジョン・セナ。

蜂の子君は目つきがいかにも凶暴で、絵に描いたようなレスラー歩きで登場してくるアンダティカ。

ちなみに息子は、長年鍛え込まれた筋肉が威厳を語る、誠実そうないぶし銀の中年の魅力バティスタ。

・・・レスラーの解説者になってどうする!

月子ちゃんにはハートのブレスレットと、私とお揃いのイヤーカフ。




んん? 人だかりがしている所は、古着屋か。

中国語や日本人の名前が刺繍してあるジャージなんかが山と積まれている。

北京オリンピックの残り物?

造花屋だ・・・そういえばこの町には花屋というものがない。

焼き鳥やたこ焼きはないけれど(食べたい・・・)、おやつだって大きなフライパンで作った揚げたてホヤホヤのを売っている。

想像以上においしかったので、授業の合間のブレイクのためにみんなの分も買って持たせた。

太陽君は、「第2土曜日に町に行ったら、僕、このおやつを山ほど買うぞお〜!」と雄叫びをあげたそうだ。

おっと、数ヶ月前に実は彼のために半年分のお小遣いを事務所に預けておいたのだ。

彼の意欲満々のつり目が目に浮かぶ・・・そんなに喜んでくれてよかったぞお〜。


翌日疲れてしまってなんと息子は学校を休んだというのに、夕方に回復すると、散歩に出たいというので仕方なくドアをあけ、坂を上ろうとすると目の前に悟君達兄弟が。

タイミングが良すぎる!

「メラ(ヒンディー語でお祭り)行くか?」

「ね、いいでしょ?おかあさん。」

これだけタイミングが良くては神の采配(大げさ・・・)としか思えない。

許可するしかないでしょう。

「いいわよ、いってらっしゃい。」

悟君なら、安心して預けられる。

んじゃま、私は部屋で一休み・・・とお茶を飲んでゆったりと歌詞の暗記なんかしていると、帰って来た。

DVD見せて欲しいんだって。」

とぞろぞろと4人が入って来た。

仲良し4人組はベッドにずらりと並んで鑑賞。

いいな、いいなあ。

あとで聞いたところによると、悟君はお祭りで息子にいろいろとごちそうしてくれたそうだ。

ん〜、よその子から愛情をもらって、息子はまた人格の底がほんの少し深くなったことだろう。






































2008.11.07.Fri 15:15 | インド

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